Category カテゴリー

「言葉の階(きざはし)」第二十九章:親の愛聴していた曲

2019年2月27日 水曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十九章:親の愛聴していた曲
特別連載企画 第二十九章 ~ 親の愛聴していた曲 ~

  

40歳も年齢差がある保険会社の外交員と音楽の話になった。
「で、どんな曲が好きなの?」と尋ねると、私に気遣っているのだろうか
「サザンとか好きですね」「でも君の年齢でサザンって、ちょっと古くない?」
「自分の両親がよく聴いていて・・・それで自分も」ありがちな返答である。
前の会社でも、今のところでも私は年齢差があるスタッフと飲食を共にすることが結構ある。
そんな時、よく話題になるのが、この好きな歌手であり、曲だった。
「誰がいい?」「どんな曲が好き?」という私の問いに、帰ってくる答えは、ユーミンにサザン。
海外ならビートルズ。この返答は本当に多い。

 私の父は年末になると、必ず「懐かしのメロディ」的な番組にチャンネルを合わせていた。
「東海林太郎に藤山一郎、霧島昇に二葉あき子・・・いつも変わり映えしないな」と、よく憎まれ口を吐き、
「いつもいつも同じ歌うたって・・・」と、そこにあるものは、自分の気に入っているものと対極にあるもの、
時代にそぐわない曲というある種の嫌悪感をもって臨んでいた。

だから今日、若者が親の聴いていた曲を好きになってしまうというのは、にわかには信じられない。
たとえば、「岸壁の母」を聴いても、「赤城の子守歌」を耳にしても、
そのメロディは覚えていても、親しみをもつことはない。
悲しいかな、私たちにとって音楽で両親と共通の話題をもつことはなかった。

 容易に理由は考えられる。父の時代と私たちの頃とでは、音楽が大きく変わった。
戦前から続いてきた音楽の流れは、敗戦という事実から戦前のものはすべて排斥するようになった。
私が音楽を聴き始めた頃、父の好きな歌手が歌の番組に出ることはまずなかった。

(さらに…)

「言葉の階(きざはし)」第二十八章:坊主

2019年2月25日 月曜日

  「言葉の階(きざはし)」第二十八章:坊主
   特別連載企画 第二十八章 ~ 坊主 ~


 幼い頃、商店街を歩いていると「坊主」と呼ばれることがあった。
 少し大きくなって、モノを買うくらいの小銭をもっていると、「兄ちゃん」と声をかけられた。
けっして品のいい街ではなかったが、売る人と買う人がいつの間にか顔見知りになる街だった。
 さしずめ今の状況だったら「おっちゃん」ということになるのだろうか。
 それにしても、髪の毛をきれいに刈り上げたわけでもないのに、
ましてや剃り上げたわけでもないのに、何故「坊主」と言われるのだろう。
 辞書を引いてみると、元々はその名の通り、坊さん、僧侶を指していたようだ。
それが関西方面で男の子を「坊主」と呼ぶ習慣があって、いつしか全国的に広まったという。
おそらく事の始まりは髪形だろう。サザエさんに出てくるカツオ君のように、
以前は刈り上げた頭髪が小学生の一般的なものだったのかと思う。

 坊主という言葉がつくもので、「台湾坊主」という低気圧があった。
立春が過ぎたころ、台湾付近で発生。太平洋上を発達しながら通過。
水分を多く含んでいるので、雪粒は大きくべちゃべちゃと地をたたいて落ちる。
東京で降る雪のほとんどは、この「台湾坊主」によるものだった。
今年の陽気は寒暖の差が激しく、先日「春一番」が吹くかも、なんて言ってたのに、
今度は「この冬一番の冷え込みです」なんて言っている。
立春の後だから、冬でもないだろう。と、思うが、季節感もないこの時代、寒ければ冬と言い、
暖かくなれば春らしいと口にしても何ら違和感はなく、むしろわかりやすい。
ちなみに「台湾坊主」という言葉はほとんど耳にすることはなくなった。
国名が気象用語として使われる、しかもあまりいい天気でもないから配慮したのだろうか?
でも「台湾坊主」というのはわかりやすかった。その言葉だけで春に降る湿った雪と理解できる。
これが「春になって発生した冬型の太平洋低気圧」なんて言っていると、季節がわからなくなってくる。

(さらに…)

「言葉の階(きざはし)」第二十七章:陽はどちらに沈む

2019年2月18日 月曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十七章:陽はどちらに沈む
特別連載企画 第二十七章 ~ 陽はどちらに沈む ~

 日本の地形はだいたい頭に入っている。
だから47都道府県の位置はもちろん、県庁所在地も頭に浮かぶ。
しかしながら私の思考回路はだいたいわかればいい、
凡そのモノや数字までしか頭にない、といったことが多い。
細かいところまで覚えようとしない。
だから、大学受験のとき、選んだ社会科の科目は
当時まだ好きだった地理でも日本史でもなく、世界史だった。
馴染み深い地理や日本史は、教科書を頭に入れるだけじゃ通用しない設問が出るような気がしていた。

 ちなみに世界史は興味がなく、受験でも全くダメだった。
あれは、高校何年の時だったか?恩師が突然、その時代を思い起こすように話し出した。
それは幼少の時の「疎開」の話。とはいえ、怖かったとか不安だったということではなく、
疎開先の新潟でみた「日本海に沈む日の入り」の光景の話だった。
つぶやくように断片的に口にした話を、私は次のように認識した。

 新潟のどこだったか、記憶にもないのだが、
日本海に面した温泉から見た夕日が何とも言えず美しかった。
できることならあの地にもう一度行きたい。

と、考えたが、どうにも合点が行かない。
当時いくら幼くても、どこに疎開したかなんて、
その後誰か大人の人に聞けば地名くらいわかることだ、なぜ・・・

(さらに…)

「言葉の階(きざはし)」第二十六章:名前

2019年1月28日 月曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十六章:名前

特別連載企画 第二十六章 ~ 名前 ~


 今年生まれた子供さんたちにつけられた名前で、どのような名前が多かったか、
そんな記事が公になっている。

男子、蓮(れん) 大翔(ひろと) 陽翔(はると)

女子、葵(あおい) 結菜(ゆうな) 陽葵(ひより)

男女それぞれ上位三つを上げると、以上のようになっている。
――男、――夫、――子ばかりがあふれていた私たちの小学校時代と比べると、想像もつかない命名である。

 私の「益紀」という名前であるが、当時としては珍しかったのだろう。
小学校の低学年の頃からよく読み方を尋ねられたものだ。
幼い頃なら「わからない、でもまあちゃんと呼ばれているよ」と答えても、かわいいと思われるが、
いつまでも通用するものでもない。

「椿くん、何て読んだらいいんだろう、君の名前?」

と、小学校入学の時だけでなく、少し大きくなってからも訊かれたこともあった。
たまに「つばきでいいですよ」と答えたりしたが、知りたいのは姓の方ではなく、
名であることは間違いなかった。我ながら可愛い子供じゃなかった、と思う。
ただ、何度も聞かれると、またかよ、と表情に出てしまう。

親はその名を背負って我が子はどのように生きていくかと、命名する時にはいろいろなことを考える。
その名が果たして運をもたらすか、画数はいいか、占星術まで頼んで、我が子の名前を考える。
ありきたりではなく、しかし突拍子もないものでもなく、さりとてやはり「今」を感じさせる名前だ。
今は自分の名前の由来も知らなくても、やがては親の想いを知ってほしい。そんなことを思いながら命名する。

私は自分の名前が訓読み、訓読みといわゆる重箱読み、湯桶読みでないことを知ったとき、
「さすが我が両親」と感心したが、それでも「ますきくん」と呼ばれると
「変な名前つけて」「こんなわかりにくい名前のせいだ」と、やはり矛先は親に向けていた。
私の5歳違いの姉は「真知子」という名前だ。この名前を幾度となくうらやましく思った。理由は単純。

1、誰もが「まちこ」と読めること

2、当時「君の名は」が流行。「真知子」という名は誰もが親近感あり

そんな姉夫妻は生まれた第一子に「匡展」と命名した、読めなかった。
そもそも自分の名前が周囲に正しく理解された人間は、
自分の子に難解な名前をつける傾向にあるのではないか・・・と思ったが、どうだろう?
小学校に通っていた甥に「名前、何て読むんだ?と訊かれたことないか?」尋ねたことがある。
明るく「あるよ」と返答された。全く負の因子などなく、元気に。いい子だと思った。

そんな甥も40歳、1男1女の子供持ちだ。
改めて「子供の頃から、よく名前聞かれなかった?」と訊いてみたいが、
親が子供に自分の願いと想いを託したものに何ら不満などなかったのだろう。
考えてみれば、私よりずっと数多く、人から名前を尋ねられたのだろう。
子供の名前に同名はあるが、その人数分の親の想いがあることはまちがいない。
我が子の将来を案じ、願いを込めてつけた名前だ。
頂いた我々子供は、親からの大切な贈り物と考えるべきだろう。

「言葉の階(きざはし)」第二十五章:木守り

2019年1月8日 火曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十五章:木守り

特別連載企画 第二十五章 ~ 木守り ~

 

 私の実家には柿木があった。
いや、柿木だけでなく実をつけるまでには至らなかったが、梨、桃、杏子まであったのだから、
花を愛でるというより、実利的なものを求める家の人間の性格が十分に出ていた。

 柿木は毎年100数十個の実をつけていた。
色づいた実を採るのは父や私、家ではほとんど役割のない男の仕事だった。
にも拘らず、私はこの柿という果物を口にすることができなかった。
物心ついた頃口にした柿が渋く、それ以来柿を目にするたびに、あの渋みが口の中によみがえってきた。

 子供の頃、よく「食べられないモノ」「嫌いな食べ物」を尋ねられることがあった。
そんなとき、躊躇うことなく「柿」と答えていた。当時、果物を嫌いなものとする子は珍しかったのだろう。
そういえば、ピーマン、セロリなどの野菜、あるいは魚類を好まない子供は結構いたような気がする。
私は「柿が嫌い」と公言した手前、好きでもない野菜も口に運んだ。
そんなこともあり、好き嫌いはあまりないように思われていた。

柿を収穫するのは、毎年秋も深まった時期だった。柿の実でいっぱいになったバケツが二つ三つ。
「今年こんなに取れたんだから、来年はそんなに実らないね」と、私は、来年はこんなことしないで済む。
と思ったものだが、意に反して毎年収穫作業は続いた。

 手を伸ばしても届かないところにも柿の実は色づいていた。
私は祖母に「あんなところにもあるけど・・・枝から切ってしまう?」と、
そのたびに尋ねてみたが、「あれは残しておきな」と同じ返答が繰り返されるばかりだった

 幼い頃から私は乗り物が苦手だった。
乗用車、バスはもとより時には電車に乗っても、気分が悪くなるときがあった。
保健の教科書に図解されているように胃が横たわっているのではなく、縦に伸びた感じだったのだろう。
いつも胃がむかむかしている状態だった。子供の頃のこうした体験、そして不安な想いは結構頭に残る。
私は車に乗ると、気分が悪くなるという想いが大きくなるまで続いた。

 旅によく出るようになったのは大学も後半になってからだろう。
少なくとも「酔う」という心配がほぼなくなったのはこの時期だ。
もう少し早い時期から出歩いていれば、感性も豊かになったのだろうし、もっと全国のことを覚えたことだろう。
それでも、田園地帯が広がる日本らしい風景の中に身をおくと、落ち着く。

 学生生活も残りわずか―――凩が吹き、寒さが身に染みるように感じ始めた頃、風に誘われるように旅に出た。
車窓から我が家でも見慣れた風景が目に入ってきた。
すっかり葉を落とし裸木となった柿木に、枝の先に実が残っている。
「これって、鳥のエサになるんですね?」
「いやいや、昔からの風習でね…来年もよく実がつくようにっていうまじないというか、祈りみたいなものですよ」
そうなんだ。「木守り」って言葉をこの時知った。
日本らしいモノを、命を慈しむ優しい風習だ。
木の新生を念じて、実をひとつ残して収穫を終わりにするって・・・いいよね。

 ところで、柿の実であるが、デザートなどで出てくる。
最初は口をつけなかったが、食すと、意外にうまい。あまり言わないが・・・

「言葉の階(きざはし)」第二十四章:大器晩成

2018年12月25日 火曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十四章:大器晩成

特別連載企画 第二十四章 ~ 大器晩成 ~

 実家に帰ると、人数は少なくなったが、私が幼い時分からここに居を構えている人達と顔を合わせることがある。
話すこともない付き合いになってしまったが、それでも懐かしさが沸いてくる。
「元気?」の問いかけ、「お疲れ様」のねぎらいの言葉が通り過ぎれば、背を向けるだけだが、
後姿をじっと見られている気がする。

 ここでは、「ますのりちゃん」「ま~ちゃん」という呼び名で今でも呼ばれる。
もう60歳も過ぎて「ちゃん」付けでもあるまいし、と思うが
他にどう呼んでいいのか思いつかないのだろうし、私も「椿さん」なんて言われたら、寒くなるだろう。
やはりこのほうが心地いい。

 年末になると、今年一年のまとめ、締めくくり的な行事が続き、
テレビは今年のおさらい的な番組や総集編のようなものが放映される。
番組の終わりは「よいお年を」であり、「・・・でありますように」という
来年に望みを託すような言葉で締めくくる。
来年に期待を寄せるというのは、未来に夢を抱き続ける大切なことだが、
今年いいことがなかったことの裏返しかと思うのは思い過ごしか?

 誰もが子供の頃、「この子は大器晩成型だ」と言われた覚えがあるだろう。
子供の成長、成功を願う親たちの希望を込めた言葉なのだろうが、
「今は駄目だがそのうち何とかなるだろう」と言っているような気がしていた。
短絡的に物事を考える性質だから、「来年はよくなるよ」とか「きっといいことがあるよ」という
先々に希望を託す言葉は総じて「今はよくない」「駄目だ」ということを暗に言っているように思ってしまう。

 以前勤めていたホテルの同僚に会った。と言っても年齢差10歳。しかも女性。言葉を選ばなければならない。
私の場合、学校や会社のように団体での会話、行動が主の時は十分に気を付けるのだが、
二、三人の状況、さらにプライベートな時間となると、配慮がなくなる。

 この時もそうだった。そもそも年齢を伺ったときに「半世紀か・・・」と口にしていたのだから、
注意力は完全に欠落していた。
「・・・それで○○ちゃん、きっといいことあるよって言われちゃった。」彼女がそう口にしたとき、
パーッと自分のことを言われている気になってしまった。
そんなわけで「よくこれからいいことあるよ、とかこの先どうだ、
なんてこと言われるんだけど・・・大器晩成って言われているのと同じ感覚だね。
60歳過ぎた人間に“これから”って言われてもね・・・」

 笑っていたが、どう思っただろう。
 ちなみに大器晩成の意味であるが、「鐘や鼎のような大きな器は簡単には出来上がらない。
人も大人物の才能が現れるのは徐々に成り立つものである」ということらしい。
少なくとも今を鑑みて、現在は駄目だが、この先伸びるよといった現状回避、先にいざなうような言葉ではない。
文字通り大器とは簡単になるものではない。我々は勘違いをして、その言葉をとらえ利用することがある。
自分に都合のいいようにとらえるのではなく、素直に受け止めることも必要かもしれない。

「言葉の階(きざはし)」第二十三章:色なき風

2018年12月20日 木曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十三章:色なき風

特別連載企画 第二十三章 ~ 色なき風 ~

 
10月に入ったばかりの頃は気温が30度を超える日もあり、「また夏日」なんて言葉も耳にしていた。
次第に汗も引き、冬服をハンガーにかけるようになった。
本来なら秋の夜長を感じ、夜更かしが似合う季節――秋は足早に過ぎてしまい、
今は、冷たい風が吹く季節の中だ。カラッとした陽気に包まれしのぎやすい秋日は数えるほどになってしまった。

そんな秋めいた陽気の折に吹く風を「色なき風」というが、元々風に色などないのに、
何故あえてこんな表現をしたのだろう。
平安時代、さかんに歌が詠まれていた時代、中国の影響もあって、
人々は四季それぞれに相応しい色を結びつけていた。春―青春。夏―朱夏。冬―黒帝 そして秋は白秋、
しかし白と言ってもこの場合、現代のようなおしろいのような色を差すのではなく、
色のないものを「白」と表していた。
無色透明で澄んだ風はまさに秋の代名詞として「色なき風」と表現したのだろう。

 ところで季節を表す風の表現っていくつかある。
思い浮かぶものを挙げてみると、春なら東風、風光る・・詩人になったようでいい感じ。
夏は薫風、はえ・・盛夏になるとなんか濃いなって感じ。
秋はひとまず空けて冬、凩、ならい・・襟を立てるって感じ。
それにしても漁師が使う言葉が多くなるのは納得するね。

 私は幼い時から、あまり目立たないおとなしい子と見られてきた。
面白いもので私より口数はずっと少ないのに、なぜか雰囲気が賑やかな人間がいる。
誰が隣の席についても、周りが明るく口を開き、その場を和ませる。
私はと言えば人の話に頷いたり、相槌をうったり・・・。
オーラがなく、明るさがないんだろうな。だからそんな人間を見ると、どうにも羨んだものである。

 大学時代に「お前は白い色が好きなのか?」と上級生から言われたことがあった。
どういうことかと言えば、自分の個性も発揮しないで、人の色に染まっていくタイプだということだった。
なんとなく癇に障るような言い方、いや私自身気にしていたことだったので、
「人の色を柔らかくし、穏やかにする面もあるのかと思いますが・・・」と思わずうそぶいてしまった。

 その当時はあまり思わなかったが、自分の欠けているものを直していくことも必要。
でもそんな自分の性格、持っているものを生かすのも必要ではあるまいか?
若い頃はすべてに「優れている」ようになりたく、周囲から認めてもらいたいと思っていた。
しかし、そうはならない。自分の不得手が見えてくる。話すことが苦手だったら、それでもいい。
人を引っ張っていく裁量がなければ、それでもいい。大切なのは、正面を向いて人の話につきあうことだ。

 秋という季節は昔から好きだった。若いうちから変に年寄りじみた傾向があって、
華やかなものより、落ち着いた地味なものを好んだ。
ちなみに色なき風とは、具体的に身にしむような秋風の寂寥感のことを言う。

僧侶の方向け講演会 第二回

2018年12月17日 月曜日

僧侶の方向け講演会 第二回

「ストレス社会に必要なコミュニケーションと

アンガーマネジメント(怒りのコントロール)」

 

10月の一回目に続き、先月11月末に日蓮宗の僧侶の方に向けた講演会の二回目を開催致しました。
今回は長野県の安立寺に伺い、20名超の僧侶の方を前に弊社代表理事の鈴木伸英が登壇を致しました。
多くの人が抱える「ストレス」の実態や現状を理解して頂いた上で、
僧侶としての対応の仕方や一個人としてのストレスとの向き合い方をお話し、
今後の教えに役立てて頂けるよう語り合いました。

前半はストレス社会に必要なコミュニケーションとして講演にご出席頂き、
後半はアンガーマネジメントやコミュニケーションのグループワークの実践もして頂きましたが、
積極的に周りの方とコミュニケーションをはかり、他の方の意見や新しい見方を取り入れようとする僧侶の皆様の姿は、
大変心打たれるものでした。

ご協力、ご参加頂きました日蓮宗の僧侶の皆様、また関係者の皆様、誠にありがとうございました。

講演にご興味のある方や、インタビューの依頼などのご連絡も随時受け付けております。
下記までご連絡下さいませ。


担当者名:村松
TEL:03-5530-8730  /   メールアドレス:info@comskillhp.com 

「言葉の階(きざはし)」第二十二章:マラソン

2018年12月11日 火曜日

  「言葉の階(きざはし)」第二十二章:マラソン
   特別連載企画 第二十二章 ~ マラソン ~




 アメリカ・シカゴで行われたシカゴマラソンで、
日本の大迫傑が2時間5分50秒という日本新記録で3位に入った。
箱根駅伝に出ていた時も大きなストライドで、自分のペースを貫いて走る卓越した選手だった。
ただ、従来日本人の長距離の走り方は、最後の勝負所で一気にスピードアップする、というのが基本だ。
自分の足の動きに任せて、最初から先頭に立つといった感じの大迫選手は
必ずしも「常に勝つ」選手ではなかった。大学卒業後もしばらくはトラック競技に専念していたので、
マラソンはやらないのかな、と思っていた。

 たしかマラソンはまだ3回目だと思うが、記録は着実に伸び、外したレースはない。
長距離ランナーの走り方は大きく分けて、レースを作るタイプとペースについていくタイプに分けられる。
アフリカで記録を塗り替える選手たちはもちろんレースを作るタイプである。
ペースを上げたり下げたりして絞り込む。その上で自分のペースで走る。
が、当然その日のコンディションによって悪い結果になることも多く、疲労度は大きい。
箱根駅伝で大迫選手を観たとき、日本人には珍しいこのタイプの選手だった。
必ず先頭に立ち、行けるところまで行くという感じだった。
おそらくオリンピックの代表を決めるレースでは徹底的にマークされ、厳しいレースになるだろう。

 ところで、このシカゴマラソンはスタートもゴールもロードだったが、
日本で行わるマラソンの多くは競技場を出て、競技場に戻るといったレーススタイルだ。
マラソン中継を観ていていつも思うのだが、選手が何周か走って競技場を出て、
2時間余りののちまた戻ってくるまで観客の方々は何をしているのだろうか?
「2時間くらいアッという間だよ」と言われる。
しかしながら、2時間ただ選手が戻ってくるのを待つだけなら私には耐えられない。
何か他の競技でも行っているのかと、スポーツ新聞を見ても、
何か行われたようなことも記されていない。となれば、子供たちの体操、綱引きぐらいか・・・
2時間といっても準備、片付けなどもあるから、そんなに大がかりな競技が行われるはずもない。

 ちょっと関係ない話だが、私は何度かボクシングを観に行ったことがある。
ボクシングはプロレスと異なり、ショーアップする格闘技ではない。
1日に何試合も予定が組まれ、ボクサーたちは自分がリングに上がる時間に合わせ闘争心を高める。
よって、試合が早く終わったからと言って、次の試合時間を早めるということはしない。
では、たとえば10回戦の試合が1回で終わってしまったら、
観客は30分余りの時間をただ待つだけなのか・・・こんなことを考えると、落ち着かない。

 ボクシングのプログラムで予備の試合というのがある。
まさにこれが、このように時間が空いた時に行われる試合なのだ。
当然4回戦あたりの選手だが、行われるかどうかもわからないまま準備を進めるのは
かなりの緊張感とストレスを伴うものである。

どうも私の思考回路は外れるとどんどん遠くに行ってしまう。
だから未だにマラソン中継を観ると、そんなことに想いが飛んでしまう。


 

「言葉の階(きざはし)」第二十一章:暴力の根源は自らにあるのか

2018年11月30日 金曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十一章:暴力の根源は自らにあるのか

特別連載企画 第二十一章 ~ 暴力の根源は自らにあるのか ~

 

 

 日本海を挟んで向かい合う、我が国に最も近い国、北朝鮮。
しかしながら、日本人拉致事件、貧しい国家経済にも拘わらず、
国力を誇示するために核開発を進め、新型のミサイルを生み出す。
当然我が国、日本のみならず世界各国にとって脅威になっているのは間違いない。

ところが、軍事力を進める度に発せられる声明に目を通すと、
「我が国に侵入してくる外敵から守るため」という文言が付いている。
核開発は侵略、攻撃のためではなく、あくまで自国防衛のためだと言っているのだ。

始めてアメリカに行ったとき、きわめて明るい国で楽しいのだけれど、
危険な国という想いも持った。ロスアンゼルスのニューオータニ。
ホテルの周辺は中心から外れ、夜は闇の中だ。
車に乗っていても、横断歩道で信号待ちをしていると、ふらついている黒人がそばに寄ってくるんじゃないかと思ってしまう。
この旅行の時も、現地の人とコンビニのようなところにショッピングに行った折、
カメラで店を撮ったら、黒人にからまれた。
明らかに言いがかりだが、「俺たちのことを写しただろ、カメラをよこせ」と言ってきた。
そんな記憶もあったから、信号が青に変わり、車が走り出すまでの時間がやたら長いように思えた。

「この地にいたら、身を守るためのモノが必要だ」そう思うだろうな。
しかし、そんなものを手にしたところで、どれだけ役にたつのだろう。
かつての西部劇のように、襲ってくる相手をバッタバッタ撃つことなんてできるわけもない。
武器は武器としての価値を有するばかりで、実用的なものではない。
利用するには使用の「how to」を理解して、覚悟をもつことが必要となる。

電車内でいざこざがあり、一方が刺されるという事件があった。
刺すということは護身用であれ、何か武器を手にしていたということだ。
護身用と言い、自分を守るためと言い、
人は周囲の人間が自分に対して嫌悪感を持っているかもしれない、と疑念を抱き、それが恐怖心とつながる。
その意識が過剰の防衛意識をもち、何かを身につけなければ落ち着かない。
すなわち「あっちが私に敵意を抱いていたから・・・」
「ナイフを出さなければ、こちらがやられていた」という気持ちになる。
武器を手にすれば、今度は相手も同じことを考えているかも、と疑念を抱くようになる。

交差点で肩が触れる。偶然と思うより先に「自分にからんでいる」という意識が先にたつ。
思わず鋭い目つきで相手を睨んでしまう。
相手は「まずいことをした」「向こうは悪意を持っている」という意識が、
自身のもつ防衛意識を過剰なまでに強める。

「きっとやられる」そんな意識が強くなる。
何か武器を手にするということは、逆に手にすることで周囲の視線が気になり、怯えるものだ。
「彼らも同じようなものを持っている」その想いが強くなって被害者意識を抱くようになる。

北朝鮮が新たなるミサイルを生み出し、それを誇示している。力の誇示は新たなる力を呼び起こす。
▲ページの先頭へ戻る