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「言葉の階(きざはし)」第二十五章:木守り

2019年1月8日 火曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十五章:木守り

特別連載企画 第二十五章 ~ 木守り ~

 

 私の実家には柿木があった。
いや、柿木だけでなく実をつけるまでには至らなかったが、梨、桃、杏子まであったのだから、
花を愛でるというより、実利的なものを求める家の人間の性格が十分に出ていた。

 柿木は毎年100数十個の実をつけていた。
色づいた実を採るのは父や私、家ではほとんど役割のない男の仕事だった。
にも拘らず、私はこの柿という果物を口にすることができなかった。
物心ついた頃口にした柿が渋く、それ以来柿を目にするたびに、あの渋みが口の中によみがえってきた。

 子供の頃、よく「食べられないモノ」「嫌いな食べ物」を尋ねられることがあった。
そんなとき、躊躇うことなく「柿」と答えていた。当時、果物を嫌いなものとする子は珍しかったのだろう。
そういえば、ピーマン、セロリなどの野菜、あるいは魚類を好まない子供は結構いたような気がする。
私は「柿が嫌い」と公言した手前、好きでもない野菜も口に運んだ。
そんなこともあり、好き嫌いはあまりないように思われていた。

柿を収穫するのは、毎年秋も深まった時期だった。柿の実でいっぱいになったバケツが二つ三つ。
「今年こんなに取れたんだから、来年はそんなに実らないね」と、私は、来年はこんなことしないで済む。
と思ったものだが、意に反して毎年収穫作業は続いた。

 手を伸ばしても届かないところにも柿の実は色づいていた。
私は祖母に「あんなところにもあるけど・・・枝から切ってしまう?」と、
そのたびに尋ねてみたが、「あれは残しておきな」と同じ返答が繰り返されるばかりだった

 幼い頃から私は乗り物が苦手だった。
乗用車、バスはもとより時には電車に乗っても、気分が悪くなるときがあった。
保健の教科書に図解されているように胃が横たわっているのではなく、縦に伸びた感じだったのだろう。
いつも胃がむかむかしている状態だった。子供の頃のこうした体験、そして不安な想いは結構頭に残る。
私は車に乗ると、気分が悪くなるという想いが大きくなるまで続いた。

 旅によく出るようになったのは大学も後半になってからだろう。
少なくとも「酔う」という心配がほぼなくなったのはこの時期だ。
もう少し早い時期から出歩いていれば、感性も豊かになったのだろうし、もっと全国のことを覚えたことだろう。
それでも、田園地帯が広がる日本らしい風景の中に身をおくと、落ち着く。

 学生生活も残りわずか―――凩が吹き、寒さが身に染みるように感じ始めた頃、風に誘われるように旅に出た。
車窓から我が家でも見慣れた風景が目に入ってきた。
すっかり葉を落とし裸木となった柿木に、枝の先に実が残っている。
「これって、鳥のエサになるんですね?」
「いやいや、昔からの風習でね…来年もよく実がつくようにっていうまじないというか、祈りみたいなものですよ」
そうなんだ。「木守り」って言葉をこの時知った。
日本らしいモノを、命を慈しむ優しい風習だ。
木の新生を念じて、実をひとつ残して収穫を終わりにするって・・・いいよね。

 ところで、柿の実であるが、デザートなどで出てくる。
最初は口をつけなかったが、食すと、意外にうまい。あまり言わないが・・・

「言葉の階(きざはし)」第二十三章:色なき風

2018年12月20日 木曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十三章:色なき風

特別連載企画 第二十三章 ~ 色なき風 ~

 
10月に入ったばかりの頃は気温が30度を超える日もあり、「また夏日」なんて言葉も耳にしていた。
次第に汗も引き、冬服をハンガーにかけるようになった。
本来なら秋の夜長を感じ、夜更かしが似合う季節――秋は足早に過ぎてしまい、
今は、冷たい風が吹く季節の中だ。カラッとした陽気に包まれしのぎやすい秋日は数えるほどになってしまった。

そんな秋めいた陽気の折に吹く風を「色なき風」というが、元々風に色などないのに、
何故あえてこんな表現をしたのだろう。
平安時代、さかんに歌が詠まれていた時代、中国の影響もあって、
人々は四季それぞれに相応しい色を結びつけていた。春―青春。夏―朱夏。冬―黒帝 そして秋は白秋、
しかし白と言ってもこの場合、現代のようなおしろいのような色を差すのではなく、
色のないものを「白」と表していた。
無色透明で澄んだ風はまさに秋の代名詞として「色なき風」と表現したのだろう。

 ところで季節を表す風の表現っていくつかある。
思い浮かぶものを挙げてみると、春なら東風、風光る・・詩人になったようでいい感じ。
夏は薫風、はえ・・盛夏になるとなんか濃いなって感じ。
秋はひとまず空けて冬、凩、ならい・・襟を立てるって感じ。
それにしても漁師が使う言葉が多くなるのは納得するね。

 私は幼い時から、あまり目立たないおとなしい子と見られてきた。
面白いもので私より口数はずっと少ないのに、なぜか雰囲気が賑やかな人間がいる。
誰が隣の席についても、周りが明るく口を開き、その場を和ませる。
私はと言えば人の話に頷いたり、相槌をうったり・・・。
オーラがなく、明るさがないんだろうな。だからそんな人間を見ると、どうにも羨んだものである。

 大学時代に「お前は白い色が好きなのか?」と上級生から言われたことがあった。
どういうことかと言えば、自分の個性も発揮しないで、人の色に染まっていくタイプだということだった。
なんとなく癇に障るような言い方、いや私自身気にしていたことだったので、
「人の色を柔らかくし、穏やかにする面もあるのかと思いますが・・・」と思わずうそぶいてしまった。

 その当時はあまり思わなかったが、自分の欠けているものを直していくことも必要。
でもそんな自分の性格、持っているものを生かすのも必要ではあるまいか?
若い頃はすべてに「優れている」ようになりたく、周囲から認めてもらいたいと思っていた。
しかし、そうはならない。自分の不得手が見えてくる。話すことが苦手だったら、それでもいい。
人を引っ張っていく裁量がなければ、それでもいい。大切なのは、正面を向いて人の話につきあうことだ。

 秋という季節は昔から好きだった。若いうちから変に年寄りじみた傾向があって、
華やかなものより、落ち着いた地味なものを好んだ。
ちなみに色なき風とは、具体的に身にしむような秋風の寂寥感のことを言う。

僧侶の方向け講演会 第二回

2018年12月17日 月曜日

僧侶の方向け講演会 第二回

「ストレス社会に必要なコミュニケーションと

アンガーマネジメント(怒りのコントロール)」

 

10月の一回目に続き、先月11月末に日蓮宗の僧侶の方に向けた講演会の二回目を開催致しました。
今回は長野県の安立寺に伺い、20名超の僧侶の方を前に弊社代表理事の鈴木伸英が登壇を致しました。
多くの人が抱える「ストレス」の実態や現状を理解して頂いた上で、
僧侶としての対応の仕方や一個人としてのストレスとの向き合い方をお話し、
今後の教えに役立てて頂けるよう語り合いました。

前半はストレス社会に必要なコミュニケーションとして講演にご出席頂き、
後半はアンガーマネジメントやコミュニケーションのグループワークの実践もして頂きましたが、
積極的に周りの方とコミュニケーションをはかり、他の方の意見や新しい見方を取り入れようとする僧侶の皆様の姿は、
大変心打たれるものでした。

ご協力、ご参加頂きました日蓮宗の僧侶の皆様、また関係者の皆様、誠にありがとうございました。

講演にご興味のある方や、インタビューの依頼などのご連絡も随時受け付けております。
下記までご連絡下さいませ。


担当者名:村松
TEL:03-5530-8730  /   メールアドレス:info@comskillhp.com 

「言葉の階(きざはし)」第二十二章:マラソン

2018年12月11日 火曜日

  「言葉の階(きざはし)」第二十二章:マラソン
   特別連載企画 第二十二章 ~ マラソン ~




 アメリカ・シカゴで行われたシカゴマラソンで、
日本の大迫傑が2時間5分50秒という日本新記録で3位に入った。
箱根駅伝に出ていた時も大きなストライドで、自分のペースを貫いて走る卓越した選手だった。
ただ、従来日本人の長距離の走り方は、最後の勝負所で一気にスピードアップする、というのが基本だ。
自分の足の動きに任せて、最初から先頭に立つといった感じの大迫選手は
必ずしも「常に勝つ」選手ではなかった。大学卒業後もしばらくはトラック競技に専念していたので、
マラソンはやらないのかな、と思っていた。

 たしかマラソンはまだ3回目だと思うが、記録は着実に伸び、外したレースはない。
長距離ランナーの走り方は大きく分けて、レースを作るタイプとペースについていくタイプに分けられる。
アフリカで記録を塗り替える選手たちはもちろんレースを作るタイプである。
ペースを上げたり下げたりして絞り込む。その上で自分のペースで走る。
が、当然その日のコンディションによって悪い結果になることも多く、疲労度は大きい。
箱根駅伝で大迫選手を観たとき、日本人には珍しいこのタイプの選手だった。
必ず先頭に立ち、行けるところまで行くという感じだった。
おそらくオリンピックの代表を決めるレースでは徹底的にマークされ、厳しいレースになるだろう。

 ところで、このシカゴマラソンはスタートもゴールもロードだったが、
日本で行わるマラソンの多くは競技場を出て、競技場に戻るといったレーススタイルだ。
マラソン中継を観ていていつも思うのだが、選手が何周か走って競技場を出て、
2時間余りののちまた戻ってくるまで観客の方々は何をしているのだろうか?
「2時間くらいアッという間だよ」と言われる。
しかしながら、2時間ただ選手が戻ってくるのを待つだけなら私には耐えられない。
何か他の競技でも行っているのかと、スポーツ新聞を見ても、
何か行われたようなことも記されていない。となれば、子供たちの体操、綱引きぐらいか・・・
2時間といっても準備、片付けなどもあるから、そんなに大がかりな競技が行われるはずもない。

 ちょっと関係ない話だが、私は何度かボクシングを観に行ったことがある。
ボクシングはプロレスと異なり、ショーアップする格闘技ではない。
1日に何試合も予定が組まれ、ボクサーたちは自分がリングに上がる時間に合わせ闘争心を高める。
よって、試合が早く終わったからと言って、次の試合時間を早めるということはしない。
では、たとえば10回戦の試合が1回で終わってしまったら、
観客は30分余りの時間をただ待つだけなのか・・・こんなことを考えると、落ち着かない。

 ボクシングのプログラムで予備の試合というのがある。
まさにこれが、このように時間が空いた時に行われる試合なのだ。
当然4回戦あたりの選手だが、行われるかどうかもわからないまま準備を進めるのは
かなりの緊張感とストレスを伴うものである。

どうも私の思考回路は外れるとどんどん遠くに行ってしまう。
だから未だにマラソン中継を観ると、そんなことに想いが飛んでしまう。


 

「言葉の階(きざはし)」第二十一章:暴力の根源は自らにあるのか

2018年11月30日 金曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十一章:暴力の根源は自らにあるのか

特別連載企画 第二十一章 ~ 暴力の根源は自らにあるのか ~

 

 

 日本海を挟んで向かい合う、我が国に最も近い国、北朝鮮。
しかしながら、日本人拉致事件、貧しい国家経済にも拘わらず、
国力を誇示するために核開発を進め、新型のミサイルを生み出す。
当然我が国、日本のみならず世界各国にとって脅威になっているのは間違いない。

ところが、軍事力を進める度に発せられる声明に目を通すと、
「我が国に侵入してくる外敵から守るため」という文言が付いている。
核開発は侵略、攻撃のためではなく、あくまで自国防衛のためだと言っているのだ。

始めてアメリカに行ったとき、きわめて明るい国で楽しいのだけれど、
危険な国という想いも持った。ロスアンゼルスのニューオータニ。
ホテルの周辺は中心から外れ、夜は闇の中だ。
車に乗っていても、横断歩道で信号待ちをしていると、ふらついている黒人がそばに寄ってくるんじゃないかと思ってしまう。
この旅行の時も、現地の人とコンビニのようなところにショッピングに行った折、
カメラで店を撮ったら、黒人にからまれた。
明らかに言いがかりだが、「俺たちのことを写しただろ、カメラをよこせ」と言ってきた。
そんな記憶もあったから、信号が青に変わり、車が走り出すまでの時間がやたら長いように思えた。

「この地にいたら、身を守るためのモノが必要だ」そう思うだろうな。
しかし、そんなものを手にしたところで、どれだけ役にたつのだろう。
かつての西部劇のように、襲ってくる相手をバッタバッタ撃つことなんてできるわけもない。
武器は武器としての価値を有するばかりで、実用的なものではない。
利用するには使用の「how to」を理解して、覚悟をもつことが必要となる。

電車内でいざこざがあり、一方が刺されるという事件があった。
刺すということは護身用であれ、何か武器を手にしていたということだ。
護身用と言い、自分を守るためと言い、
人は周囲の人間が自分に対して嫌悪感を持っているかもしれない、と疑念を抱き、それが恐怖心とつながる。
その意識が過剰の防衛意識をもち、何かを身につけなければ落ち着かない。
すなわち「あっちが私に敵意を抱いていたから・・・」
「ナイフを出さなければ、こちらがやられていた」という気持ちになる。
武器を手にすれば、今度は相手も同じことを考えているかも、と疑念を抱くようになる。

交差点で肩が触れる。偶然と思うより先に「自分にからんでいる」という意識が先にたつ。
思わず鋭い目つきで相手を睨んでしまう。
相手は「まずいことをした」「向こうは悪意を持っている」という意識が、
自身のもつ防衛意識を過剰なまでに強める。

「きっとやられる」そんな意識が強くなる。
何か武器を手にするということは、逆に手にすることで周囲の視線が気になり、怯えるものだ。
「彼らも同じようなものを持っている」その想いが強くなって被害者意識を抱くようになる。

北朝鮮が新たなるミサイルを生み出し、それを誇示している。力の誇示は新たなる力を呼び起こす。

「言葉の階(きざはし)」第二十章:小さい秋見つけた

2018年11月21日 水曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十章:小さい秋見つけた

特別連載企画 第二十章 ~ 小さい秋見つけた ~


 標題の唱歌は、小学校に入学して始めて音楽の授業で習った歌である。
秋の歌だから1年生の夏休みが終わり、2学期に入ってから教わったのだろう。
じゃー1学期は何を教わっていたのだろう。もう55年の歳月が流れたので定かではないが、
入学した年の1学期は、通常の授業はなく、手先を使った作業ばかりしていたような気がする。

2年生の時だったか「教わった中で、一番好きな歌は?」と尋ねられて、
ほとんどの生徒が「小さい秋見つけた」と答えた。他に教わった曲などあまりないのだから当然だろう。
本当は「潮来笠」か「いつでも夢を」と言いたい子もいたかもしれない。

ところで、クイズ番組で「『小さい秋見つけた』の出だしはどんな歌詞でしょう?」
という問題が出題されたことがあった。ありがちな問題である。
題名が歌の歌詞として複数回出てくるものって、なんとなくその1節が印象に残る。
だからこのときも「小さい秋見つけた 小さい秋見つけた」と答える人が多かったように記憶している。
ちなみに正解は「誰かさんが、誰かさんが、誰かさんが見つけた」である。

ところで、この「小さい秋見つけた」という曲が出ると、
必ずと言っていいほど小学校時代は尋ねられることがあった。
「小さな秋って気づいたものある?」と。この小さな秋って言葉が微妙だ。
単に秋だったら、コスモスでもコオロギでも紅葉でもいいだろう。
でも小さいという表現のため、
たとえばコスモスでもコオロギでも庭先のとか裏の空き地などという言葉を添えないと
「小さい秋」というイメージにならない。
紅葉も色づくのが晩秋であり、山を彩る様は、大きな秋というイメージを醸し出す。
幼い生徒は一生懸命考える。小さい秋って、秋になったばかりだと感じさせるもの。
「お芋食べた」{そうだね}
「石焼き芋食べた」{ちょっと違うかな}
「・・・」 「キリギリスが羽をすっていた」{そうだね}
「セミが大合唱」{う~ん ちょっと違うかな}
「いいじゃないの、暦の上では・・・」 「葉っぱが1枚落ちた」{そうだね}
「落ち葉の道を歩いた」{ちょっと飛ばしすぎじゃ?}「でも集めれば・・・」

昨年のことである。
9月10月でも汗ばむ陽気が多く、
暦の上では秋が深まる頃なのに半そでのYシャツを片付けることがなかなかできなかった
。立冬を迎えるまで半そでのYシャツが必要かと思い始めていた。
その日も紙袋にクリーニングに出すものを入れていた。ところがやけに寒い。
いきなり冬将軍かと思わせるどんよりとした雲。そして北風。
私は冬の装いで夏の衣類のクリーニングを依頼してきた。なんか極端な陽気だと思いつつ。

どうも過ごしやすい季節が置き去りにされた感じだ。
世の中総じて帳尻が合えばいいというのか?
9月10月の平均気温とか一月の降水量や日照時間の数字が告げられる。
でも、あれほど被害をもたらした日のことも我々は記憶にとどめなくなっている。
ましてや今年の平均気温は・・・なんて言われると、
温暖化が進む、氷河期が来るかもしれないと総論的な言葉で済ましてしまう。

季節は徐々に移っていくのに、ちょっと変わってきた。
「小さい秋」も見つけるのが難しい。気が付けば年の瀬だ。
そのうち秋そのものの季節がわからなくなるかもしれない。

「言葉の階(きざはし)」第十九章:カミナリ

2018年11月12日 月曜日

「言葉の階(きざはし)」第十九章:カミナリ

特別連載企画 第十九章 ~ カミナリ ~

 小さい頃、子供たちの好きなものとして「巨人」「大鵬」「卵焼き」、
そして怖いものとして「地震」「カミナリ」「火事」「親父」と、よく口にしていた。
大鵬はすでにこの世になく食生活がこれだけ豊かになると卵焼きを好物とする子供たちも少なくなってきた。
残る巨人軍であるが、スポーツが多様化し、野球中継自体も少なくなってきた。
以前のような絶対的強いイメージもなくなってきた今日、
子供にとってヒーローというイメージはあまり見いだせない。

怖いもののほうであるが親父については今日威厳は完全に地に落ち、怖くも偉くもない人になってしまった。
むしろ子供にとっては、逆にきつい言葉を吐ける存在だろう。だが、災害に対する恐怖は今でも強い。
火事についてはそれぞれの家庭が注意すれば概ね安全だろうが、
自然災害は人の力ではどうにもならないものだ。
定期的に発生する地震は、そのもたらす被害状況からも最も恐ろしさを感じるものの一つだろう。
それにしても幼いうちから呪文のようにこの四項目を口にしてきたために、結構強い防衛本能が働く。

幼い頃、カミナリというのは雲の上で雷神が騒ぐためにおこるものと思うときがあった。
漫画の世界でも、昔の画でもさかんに描かれていたのだから、そう信じても致し方なかったかもしれない。
カミナリが落ちるというのは、
高熱をもった岩か火の玉のような何かが落ちてくるものかとぼんやり空想していた。
最近ではカミナリも忙しくなり、昼日中から大暴れしているが、
昔は夕立の言葉通り、降るときは以下のようなパターンだった。
3時ごろから雲がニョキニョキと昇っていく。
あたりが暗くなってきたなと思う間もなくザーツと一気にくる。我が家ではこんな時、蚊帳を吊っていた。
当時、カミナリが落ちるとへそがとられると聞いていたから、
消え入りそうな声で「落ちないよね」と親に確認していた。
幸いなことに落雷でへそがとられることはなかった。
もっともそれより先に雷神にへそがとられることなどない、ということを知ったが・・・

私はなぜかこの蚊帳の中に入るのが好きだった。
元々はその名の通り蚊を防ぐためのものだが、悪霊から守るためだとも聞く。
たとえ、屋根、天井を突き破って、カミナリが落ちても蚊帳がしっかり守ってくれるものだと信じていた。
でもどうやって守るんだか・・・いずれにしても蚊帳の中に入ると、不思議と安心感があった。
それは、あの麻の独特のにおいと、一つの蚊帳の中に家族みんなで横になることだった。

そんな夕立もさほど長く居座るわけでもなく、
1時間余りで涼風とともに晴れやかな天気が見上げれば広がっていた。
最近はこうした夕立が少なくなった。
今年8月下旬から9月に東京を襲ったカミナリは雨も雷鳴も途切れることもなく、人の暮らしを乱した。
「こりゃ、落ちたな」と、つぶやく間もなく、またドカーン。
しかも雨のほうはいかにも大粒そうな雨音がたたきつけている。まさに容赦ないという感じだ。
人の世に優しさが見いだせなくなったもんな。当たり前のように昨日1日で9月一月分の雨と知らされる。
その雨の恵みを知らされないまま、自然は我々の想像以上に強烈になっていく。

「言葉の階(きざはし)」第十八章:日比谷映画街

2018年11月7日 水曜日

「言葉の階(きざはし)」第十八章:日比谷映画街

特別連載企画 第十八章 ~ 日比谷映画街 ~

東京ミッドタウン日比谷がオープンして半年余りになる。
私たちの世代にとってこのあたりは、ファッションもいいけれど映画街のイメージが強い。
誰もが一度ならず映画をデートの場所に選んだのではないだろうか。
この東京ミッドタウン日比谷のあたりはそんな映画好きの人間にとってどの映画館よりも憧れがあった。
アメリカ、ロスアンゼルスのチャイニーズシアターの前には多くの映画人の手形が地面に彫られているが、
ここ日比谷もそれを模して日本の映画人の手形が地面に収まっている。
有楽町駅を降り、新橋方面にしばらく歩を進めると日比谷映画街があった。
円形型でアクション映画中心の日比谷映画劇場。大作なら四角い劇場有楽座。
アカデミー賞候補作ならみゆき座。そして女性映画ならスカラ座と映画館はそれぞれの特色を出していた。
それ以外に邦画上映館の千代田劇場。少し離れたところにニューシネマのスバル座があった。
映画なんてどこで見ても同じと思うだろうが、東宝の映画ならここと、なぜかこだわりがあった。

「アラビアのロレンス」が何度目かのリバイバルで公開されたのは、高校に入学した頃だったか、
男性向けスペクタクル映画、名作だが、上映館はなぜかスカラ座。ここはちょっと苦手な劇場だった。
何しろ宝塚劇場があり、建物の周りは平日でも女性客が列を作る。
チケットは1階の売り場で購入し、劇場のある5階か6階にはエレベーターで上がる。
当然乗れば「ご順に前にお詰めください」と、声をかけられる。
劇場のあるフロアーに着けば、扉側の人から降車するわけで、
最初に乗った人は降りる時は最後ということになる。

当時、映画は今日のようにチケットを求めたときに、席が指定されるわけではなかった。
スカラ座は1500席近い座席があったが、それでも見やすい席は埋まってしまうかもしれない。
「アラビアのロレンス」は3時間半の大作で、端の見にくい席だったらいやだな、
さらには万一座れなかったら、長い時間立ち見・・・なんて耐えられない。と不安になっていた。

このように女性客が多く、なんとなく入るのが気恥ずかしいということと、
この映画館の構造のためなんとなく足を向けたくない映画館だった。
それにエレベーターの扉が開いても、私は急ぐようなことはできなかった。
こんなところで急ぐな、悠然と構えよう。
そんな気持ちにはなれないのに、なぜか粋がってやせ我慢をしていた気がする。

「エレベーターの話」は故向田邦子氏も何かの随筆で、
たしか落語を聞きに行った時の逸話として描いている。
「私の方が先なのに・・・」と書きながら全然嫌味にならない。
軽妙な文章に我々はただ「ある、ある」と頷くばかり。

今日、映画館はシネコンと呼ばれる、一つの建物の中にいくつものシアターが入る形式になった。
「今日何観るかな、」と作品名と上映時間を観ながら決める。
アメリカの大迫力の映画が小さなスクリーンのシアターで公開され、
日本のアニメが一番大きな会場でかかっていることも当然の成り行きだ。
観に来ていただいたお客様がしっかり御覧になることが何よりなのだから。

しかし、あの頃劇場に足を踏み入れたときに感じた高揚感は、ない。
それにスクリーン1とか2じゃ、やっぱりしっくりこない。
〇〇劇場、▲座、やはりこれでないと・・・

僧侶の方に向けて行う テーマパークのおもてなし講演

2018年10月18日 木曜日

僧侶の方に向けて行う
テーマパークのおもてなし講演  



















先日、10月4日、中部地区の日蓮宗の僧侶の方を前に「テーマパークのおもてなしに学ぶ」というテーマで、
弊社代表理事の鈴木伸英が登壇を致しました。

仏教、及び宗教全体と、ディズニーという一見繋がりのない2つから、
“おもてなし”をテーマにどう人を集めるか、どう幸福を届けるのかについて、お話をさせて頂きました。

私共にとっても、日蓮宗の方にとっても前例のない新たな試みでありましたが、
大変有り難いことに無事に講演を終了することが出来ました。

午前中は基調講演、午後は分科会にてみなさんに具体的におもてなしについて考えていただき、
私にとっても有意義な一日となりました。

また、固定観念にとらわれず、
新たな風を取り入れようとされていらっしゃる僧侶の皆様の姿勢には、大変感銘を受けました。
ご協力、ご参加頂きました日蓮宗の僧侶の皆様、誠にありがとうございました。

尚、嬉しいことに、11月下旬には異なるテーマで日蓮宗の僧侶の方に向けて
二回目となる講演会を開催することとなりました。
講演にご興味のある方や、インタビューの依頼などのご連絡も随時受け付けております。
お気軽に下記までご連絡下さいませ。


担当者名:村松
TEL:03-5530-8730  /   メールアドレス:info@comskillhp.com 

 

「言葉の階(きざはし)」第十七章:お中元

2018年10月16日 火曜日

「言葉の階(きざはし)」第十七章:お中元
 特別連載企画 第十七章 ~ お中元 ~

 旧友からお中元が届いた。
何かを頂けるようなことなどしていないので、「そんなに気を使わないで・・・」と言いながら、
やはり頂くと悪い気はしない。こういったものを頂ける立場ではないが、
ニューオータニ在籍中、所属が宴会予約だったときは、身分不相応にもかなりの品数が届いた。
外部の関係会社に注文をする業務だったから、各会社とも営業活動の一つとして躍起になっていたのだろう。

お中元、お歳暮というのは日頃お世話になっている上司、親族、近所づきあいも含め
個人的に交遊のある方にお礼の意、健康を祈願するためにお届けするものである。
お中元は夏までの半年を、お歳暮は一年間のお礼となるから、
一年に1度という意図があれば、お歳暮で済ませるというのが一般的だ。

小学生の頃を思い出す。当時は近所の付き合いが盛んで、子供同士もよく遊んだが、
親たちもあちこちの家に顔を出してはよく話をしていた。
旅行に行ったりすると、お土産を用意し、盆暮れの時期になると、
「日頃のお礼」とモノを携えて近所の家々を回る人たちもいた。
我が家はこうしたことに気の回る人間はおらず、受け取り専門だった。
当時、乳酸菌飲料のカルピスが子供たちに圧倒的な人気だった。
グラスにすこ~しのカルピスを入れ、冷蔵庫の氷をいくつか入れて、水を灌ぐだけ。
これが夏、お中元の定番だった。景気のいいときはフルーツカルピス、もしくは通常のもの2本セット。
だが、1本だけというのが一般的だった。ちなみに冬は石鹸。おもしろくもなんともない。
「つまらないもので・・・」と言われると、思わず「本当に」と口に出そうだった。

もとより品物を持ってくる方々は「いいもの」を届けようという意識は薄い。
「季節のご挨拶」という意図が強く、モノより気持ち、その意を伝えることを主眼としている。
私は「季節のご挨拶」として届けるものは、こういったものが本来の姿だと思っている。
しかしどうだろう?人にお世話になり、営業としての仕事をしていたりすると、
「恥ずかしくないモノ」「他の人よりいいもの」、
すなわち料金的にそこそこのモノを選ぶようになりがちである。
そして肝心の品物であるが、概ね宅配便で届けるようになり、
「お世話になっています」「よろしくお願いします」という言葉は置き忘れてしまっている。
ただ、品物が流れるだけだ。

夏に入ったばかりの頃、後輩と居酒屋に入った。飲み物のメニューを見ると、
ビールやハイボールといったアルコールに混じってソフトドリンクが記されている。
内容をたどっていくと、ジンジャエールやウーロン茶などとともにカルピスが記されていた。
アルコールを口にする人が減少している今日、アルコールが含まれていないものも多くなければならないだろう。
ただ、乳酸菌飲料ってなんとなく違和感がある。
「カルピスって注文する人っているのかな?」と口にしようかと思ったとき、連れの一人がカルピスを注文した。
「最初だけです」と言っていたが、3時間近くカルピスで通していた。

 

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