「言葉の階(きざはし)」第三十一章:なごり雪

2019年4月26日 金曜日

「言葉の階(きざはし)」第三十一章:なごり雪

特別連載企画 第三十一章 ~ なごり雪 ~


高校時代、飛行機というものはかなり離れたところに行くときに使うものだ、という印象があった。
たとえばハワイ。結婚というものは一生に一度、そして人生最良の旅行がハワイへの新婚旅行。
国内で利用するのなら、北海道、九州、四国。陸続きではないから、乗り物を変えなければならない遠方の地。

高校2年生のクラスは非常に居心地のいいクラスだった。
クラスメートは男女関係なく、誰とでも話しやすい雰囲気があった。
これは私のように、特定の女性と仲良くなることが不得手の男性にとってはありがたいことだった。
まるでテレビの青春ドラマのように、当時の出来事が思い出される。
武甲山登山、文化祭、授業ボイコット、修学旅行、スケートリンク、学級閉鎖という様々な出来事の合間に
いくつか心に残る思い出がちりばめられている。

そんなクラスがお別れになる。アイツともコイツとも、あの子ともこの子とも・・・だけど、
本当にもう高校に来ても顔を見ることができなくなる女の子が一人いた。
クラスでもちょっと大人びていて、友達が寄ってくるようなタイプだった。
私とは特別親しいわけでもなかったが、後期にホームルーム委員をやり、クラス新聞を作っていた。
終業式の日に「今日の日はさようなら」を歌って声をつまらせ、
クラスで行った山中湖でなぜか「赤い風船」で涙し、3月下旬、彼女が四国松山に向かって発つのを見送りに、
クラスメートのほとんどが羽田に集まっていた。3月ももう終わるというのに、空港は白一色に覆われていた。
季節外れの雪が止む様子もなく、降りしきっていた。

かぐや姫の曲で「なごり雪」という曲がある。このグループの中心、南こうせつの作ったものではなく、
伊勢正三が作詞作曲。彼は例えばビートルズでいえば、ジョージ・ハリスン。
イーグルスでいえばティモシー・シュミットのような感じで、
次から次へと曲を作り出すタイプではなく、本当に自信のあるものしか発表しないという印象がある。
「22歳の別れ」「ささやかなこの人生」「君と歩いた青春」・・・染みる。
この「なごり雪」という曲は恋、愛、寂しい、悲しい、楽しい、
といった感情の起伏を表す言葉はなく、あくまで写実的につづられる。

汽車を待つ君の横でぼくは時計を気にしてる。季節外れの雪が降ってる。
動き始めた汽車の窓に顔をつけて、君は何か言おうとしている。
君の唇が「さようなら」と動くことが怖くて、下を向いてた。
この日、搭乗前に姿を見せた彼女は想いの他明るく、神妙な顔をしている我々より雄弁だった。
見送りに来た全員と握手なんかしていたから、乗り込むのがギリギリになっていた。
「椿君、椿君には・・・なんでも頼っちゃって・・・ありがとう」それでなくても、
女性の手に触れるなんてこと、めったにないのに、
途中で強く握られたものだから、思わず下を向いてしまった。付き合いはそれっきりだ。
その後、同窓会か何かで顔を合わせたかもしれないが、以前と変わることもなく、
私は「one of them」として存在するだけだ。
しかし、「なごり雪」を耳にすると、あの頃の少ししょっぱい想いがよみがえる。

伊勢正三はこの曲を作った時、
「この東京という都会と、自分の故郷大分は間違いなくレールでつながっている」と口にしていた。
どんなに遠いところでも故郷は・・・戻ることを拒まない。そうだろう。
でもあの頃、距離の隔たりは気持ちの距離感にも結び付いていた。
ちなみに「なごり雪」という言葉は俳句の歳時記、季語にはない、伊勢正三が生み出した言葉だ。

「言葉の階(きざはし)」第三十章:階 -きざはし-

2019年4月19日 金曜日

「言葉の階(きざはし)」第三十章:階 -きざはし-
特別連載企画 第三十章 ~ 階 -きざはし- ~

忘れっぽくなった。
「あ、あれ、あとでネットで調べなきゃ」と思ったことのほとんどは、忘れてしまう。
思いついたことは何かに記さなきゃとメモ帳を携帯しているが、
メモをとる習慣がないから、ほとんど活用していない。
この「言葉の階」と銘打った文章を書き始めて1年近くになる。
ホテルの経験談を書き終えて、自分が思っていること、
経験したことを書き記すことが楽しいものになっていた。

ここコミュニケーションスキル開発協会、鈴木代表に
「あと一年ぐらい、このホームページのブログに文章載せてもらってもいい?」と、尋ねると、
考えるそぶりもなく「どうぞ、どうぞ」という返答。おかげで厚かましく使わせてもらっている。

1200字程度の文字数で書き始めたが、この字数だと、けっこうスムーズに進む。
4,5編書いたところで、鈴木代表から「今回のシリーズのタイトルを考えてください」と言われた。
一つの文章の標題なら、タイトルは出てくるが、全体を通してとなると出てこない。
昔から全体を見渡してとか一貫しているテーマは、と言われるとわからなくなる。
一生懸命に考えると、どうしても、堅いタイトルになってしまう。むしろ風呂につかっていたり、
床についたとき時などに、力が抜けて想いもよらぬアイディアが浮かんでくるものだ。
この時もそうだった。
湯船につかっていたら「これぞピッタリ」という言葉に出会った――ような気がした。
ところが、風呂から出て寒いと思っているうちに、考えていたことがすっかり思考回路から消えた。
すぐに思い出すだろう。少なくとも眠るまでには浮かんでくると思っていた。
ところが全然・・・「アルツハイマーか?」「脳に何かできたか?」と真剣に考えた。
今思えば、閃いたものは、さほどのものでもなかったのかもしれない。
何しろ今だに思い出せないのだから。
「いついつまでにはお伝えするから・・・」と口約束していたその日になった。
もっとも鈴木代表は急かすわけでもなく、腹をさすりながら泰然としていた。

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「言葉の階(きざはし)」第二十九章:親の愛聴していた曲

2019年2月27日 水曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十九章:親の愛聴していた曲
特別連載企画 第二十九章 ~ 親の愛聴していた曲 ~

  

40歳も年齢差がある保険会社の外交員と音楽の話になった。
「で、どんな曲が好きなの?」と尋ねると、私に気遣っているのだろうか
「サザンとか好きですね」「でも君の年齢でサザンって、ちょっと古くない?」
「自分の両親がよく聴いていて・・・それで自分も」ありがちな返答である。
前の会社でも、今のところでも私は年齢差があるスタッフと飲食を共にすることが結構ある。
そんな時、よく話題になるのが、この好きな歌手であり、曲だった。
「誰がいい?」「どんな曲が好き?」という私の問いに、帰ってくる答えは、ユーミンにサザン。
海外ならビートルズ。この返答は本当に多い。

 私の父は年末になると、必ず「懐かしのメロディ」的な番組にチャンネルを合わせていた。
「東海林太郎に藤山一郎、霧島昇に二葉あき子・・・いつも変わり映えしないな」と、よく憎まれ口を吐き、
「いつもいつも同じ歌うたって・・・」と、そこにあるものは、自分の気に入っているものと対極にあるもの、
時代にそぐわない曲というある種の嫌悪感をもって臨んでいた。

だから今日、若者が親の聴いていた曲を好きになってしまうというのは、にわかには信じられない。
たとえば、「岸壁の母」を聴いても、「赤城の子守歌」を耳にしても、
そのメロディは覚えていても、親しみをもつことはない。
悲しいかな、私たちにとって音楽で両親と共通の話題をもつことはなかった。

 容易に理由は考えられる。父の時代と私たちの頃とでは、音楽が大きく変わった。
戦前から続いてきた音楽の流れは、敗戦という事実から戦前のものはすべて排斥するようになった。
私が音楽を聴き始めた頃、父の好きな歌手が歌の番組に出ることはまずなかった。

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「言葉の階(きざはし)」第二十八章:坊主

2019年2月25日 月曜日

  「言葉の階(きざはし)」第二十八章:坊主
   特別連載企画 第二十八章 ~ 坊主 ~


 幼い頃、商店街を歩いていると「坊主」と呼ばれることがあった。
 少し大きくなって、モノを買うくらいの小銭をもっていると、「兄ちゃん」と声をかけられた。
けっして品のいい街ではなかったが、売る人と買う人がいつの間にか顔見知りになる街だった。
 さしずめ今の状況だったら「おっちゃん」ということになるのだろうか。
 それにしても、髪の毛をきれいに刈り上げたわけでもないのに、
ましてや剃り上げたわけでもないのに、何故「坊主」と言われるのだろう。
 辞書を引いてみると、元々はその名の通り、坊さん、僧侶を指していたようだ。
それが関西方面で男の子を「坊主」と呼ぶ習慣があって、いつしか全国的に広まったという。
おそらく事の始まりは髪形だろう。サザエさんに出てくるカツオ君のように、
以前は刈り上げた頭髪が小学生の一般的なものだったのかと思う。

 坊主という言葉がつくもので、「台湾坊主」という低気圧があった。
立春が過ぎたころ、台湾付近で発生。太平洋上を発達しながら通過。
水分を多く含んでいるので、雪粒は大きくべちゃべちゃと地をたたいて落ちる。
東京で降る雪のほとんどは、この「台湾坊主」によるものだった。
今年の陽気は寒暖の差が激しく、先日「春一番」が吹くかも、なんて言ってたのに、
今度は「この冬一番の冷え込みです」なんて言っている。
立春の後だから、冬でもないだろう。と、思うが、季節感もないこの時代、寒ければ冬と言い、
暖かくなれば春らしいと口にしても何ら違和感はなく、むしろわかりやすい。
ちなみに「台湾坊主」という言葉はほとんど耳にすることはなくなった。
国名が気象用語として使われる、しかもあまりいい天気でもないから配慮したのだろうか?
でも「台湾坊主」というのはわかりやすかった。その言葉だけで春に降る湿った雪と理解できる。
これが「春になって発生した冬型の太平洋低気圧」なんて言っていると、季節がわからなくなってくる。

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「言葉の階(きざはし)」第二十七章:陽はどちらに沈む

2019年2月18日 月曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十七章:陽はどちらに沈む
特別連載企画 第二十七章 ~ 陽はどちらに沈む ~

 日本の地形はだいたい頭に入っている。
だから47都道府県の位置はもちろん、県庁所在地も頭に浮かぶ。
しかしながら私の思考回路はだいたいわかればいい、
凡そのモノや数字までしか頭にない、といったことが多い。
細かいところまで覚えようとしない。
だから、大学受験のとき、選んだ社会科の科目は
当時まだ好きだった地理でも日本史でもなく、世界史だった。
馴染み深い地理や日本史は、教科書を頭に入れるだけじゃ通用しない設問が出るような気がしていた。

 ちなみに世界史は興味がなく、受験でも全くダメだった。
あれは、高校何年の時だったか?恩師が突然、その時代を思い起こすように話し出した。
それは幼少の時の「疎開」の話。とはいえ、怖かったとか不安だったということではなく、
疎開先の新潟でみた「日本海に沈む日の入り」の光景の話だった。
つぶやくように断片的に口にした話を、私は次のように認識した。

 新潟のどこだったか、記憶にもないのだが、
日本海に面した温泉から見た夕日が何とも言えず美しかった。
できることならあの地にもう一度行きたい。

と、考えたが、どうにも合点が行かない。
当時いくら幼くても、どこに疎開したかなんて、
その後誰か大人の人に聞けば地名くらいわかることだ、なぜ・・・

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「言葉の階(きざはし)」第二十六章:名前

2019年1月28日 月曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十六章:名前

特別連載企画 第二十六章 ~ 名前 ~


 今年生まれた子供さんたちにつけられた名前で、どのような名前が多かったか、
そんな記事が公になっている。

男子、蓮(れん) 大翔(ひろと) 陽翔(はると)

女子、葵(あおい) 結菜(ゆうな) 陽葵(ひより)

男女それぞれ上位三つを上げると、以上のようになっている。
――男、――夫、――子ばかりがあふれていた私たちの小学校時代と比べると、想像もつかない命名である。

 私の「益紀」という名前であるが、当時としては珍しかったのだろう。
小学校の低学年の頃からよく読み方を尋ねられたものだ。
幼い頃なら「わからない、でもまあちゃんと呼ばれているよ」と答えても、かわいいと思われるが、
いつまでも通用するものでもない。

「椿くん、何て読んだらいいんだろう、君の名前?」

と、小学校入学の時だけでなく、少し大きくなってからも訊かれたこともあった。
たまに「つばきでいいですよ」と答えたりしたが、知りたいのは姓の方ではなく、
名であることは間違いなかった。我ながら可愛い子供じゃなかった、と思う。
ただ、何度も聞かれると、またかよ、と表情に出てしまう。

親はその名を背負って我が子はどのように生きていくかと、命名する時にはいろいろなことを考える。
その名が果たして運をもたらすか、画数はいいか、占星術まで頼んで、我が子の名前を考える。
ありきたりではなく、しかし突拍子もないものでもなく、さりとてやはり「今」を感じさせる名前だ。
今は自分の名前の由来も知らなくても、やがては親の想いを知ってほしい。そんなことを思いながら命名する。

私は自分の名前が訓読み、訓読みといわゆる重箱読み、湯桶読みでないことを知ったとき、
「さすが我が両親」と感心したが、それでも「ますきくん」と呼ばれると
「変な名前つけて」「こんなわかりにくい名前のせいだ」と、やはり矛先は親に向けていた。
私の5歳違いの姉は「真知子」という名前だ。この名前を幾度となくうらやましく思った。理由は単純。

1、誰もが「まちこ」と読めること

2、当時「君の名は」が流行。「真知子」という名は誰もが親近感あり

そんな姉夫妻は生まれた第一子に「匡展」と命名した、読めなかった。
そもそも自分の名前が周囲に正しく理解された人間は、
自分の子に難解な名前をつける傾向にあるのではないか・・・と思ったが、どうだろう?
小学校に通っていた甥に「名前、何て読むんだ?と訊かれたことないか?」尋ねたことがある。
明るく「あるよ」と返答された。全く負の因子などなく、元気に。いい子だと思った。

そんな甥も40歳、1男1女の子供持ちだ。
改めて「子供の頃から、よく名前聞かれなかった?」と訊いてみたいが、
親が子供に自分の願いと想いを託したものに何ら不満などなかったのだろう。
考えてみれば、私よりずっと数多く、人から名前を尋ねられたのだろう。
子供の名前に同名はあるが、その人数分の親の想いがあることはまちがいない。
我が子の将来を案じ、願いを込めてつけた名前だ。
頂いた我々子供は、親からの大切な贈り物と考えるべきだろう。

「言葉の階(きざはし)」第二十五章:木守り

2019年1月8日 火曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十五章:木守り

特別連載企画 第二十五章 ~ 木守り ~

 

 私の実家には柿木があった。
いや、柿木だけでなく実をつけるまでには至らなかったが、梨、桃、杏子まであったのだから、
花を愛でるというより、実利的なものを求める家の人間の性格が十分に出ていた。

 柿木は毎年100数十個の実をつけていた。
色づいた実を採るのは父や私、家ではほとんど役割のない男の仕事だった。
にも拘らず、私はこの柿という果物を口にすることができなかった。
物心ついた頃口にした柿が渋く、それ以来柿を目にするたびに、あの渋みが口の中によみがえってきた。

 子供の頃、よく「食べられないモノ」「嫌いな食べ物」を尋ねられることがあった。
そんなとき、躊躇うことなく「柿」と答えていた。当時、果物を嫌いなものとする子は珍しかったのだろう。
そういえば、ピーマン、セロリなどの野菜、あるいは魚類を好まない子供は結構いたような気がする。
私は「柿が嫌い」と公言した手前、好きでもない野菜も口に運んだ。
そんなこともあり、好き嫌いはあまりないように思われていた。

柿を収穫するのは、毎年秋も深まった時期だった。柿の実でいっぱいになったバケツが二つ三つ。
「今年こんなに取れたんだから、来年はそんなに実らないね」と、私は、来年はこんなことしないで済む。
と思ったものだが、意に反して毎年収穫作業は続いた。

 手を伸ばしても届かないところにも柿の実は色づいていた。
私は祖母に「あんなところにもあるけど・・・枝から切ってしまう?」と、
そのたびに尋ねてみたが、「あれは残しておきな」と同じ返答が繰り返されるばかりだった

 幼い頃から私は乗り物が苦手だった。
乗用車、バスはもとより時には電車に乗っても、気分が悪くなるときがあった。
保健の教科書に図解されているように胃が横たわっているのではなく、縦に伸びた感じだったのだろう。
いつも胃がむかむかしている状態だった。子供の頃のこうした体験、そして不安な想いは結構頭に残る。
私は車に乗ると、気分が悪くなるという想いが大きくなるまで続いた。

 旅によく出るようになったのは大学も後半になってからだろう。
少なくとも「酔う」という心配がほぼなくなったのはこの時期だ。
もう少し早い時期から出歩いていれば、感性も豊かになったのだろうし、もっと全国のことを覚えたことだろう。
それでも、田園地帯が広がる日本らしい風景の中に身をおくと、落ち着く。

 学生生活も残りわずか―――凩が吹き、寒さが身に染みるように感じ始めた頃、風に誘われるように旅に出た。
車窓から我が家でも見慣れた風景が目に入ってきた。
すっかり葉を落とし裸木となった柿木に、枝の先に実が残っている。
「これって、鳥のエサになるんですね?」
「いやいや、昔からの風習でね…来年もよく実がつくようにっていうまじないというか、祈りみたいなものですよ」
そうなんだ。「木守り」って言葉をこの時知った。
日本らしいモノを、命を慈しむ優しい風習だ。
木の新生を念じて、実をひとつ残して収穫を終わりにするって・・・いいよね。

 ところで、柿の実であるが、デザートなどで出てくる。
最初は口をつけなかったが、食すと、意外にうまい。あまり言わないが・・・

「言葉の階(きざはし)」第二十四章:大器晩成

2018年12月25日 火曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十四章:大器晩成

特別連載企画 第二十四章 ~ 大器晩成 ~

 実家に帰ると、人数は少なくなったが、私が幼い時分からここに居を構えている人達と顔を合わせることがある。
話すこともない付き合いになってしまったが、それでも懐かしさが沸いてくる。
「元気?」の問いかけ、「お疲れ様」のねぎらいの言葉が通り過ぎれば、背を向けるだけだが、
後姿をじっと見られている気がする。

 ここでは、「ますのりちゃん」「ま~ちゃん」という呼び名で今でも呼ばれる。
もう60歳も過ぎて「ちゃん」付けでもあるまいし、と思うが
他にどう呼んでいいのか思いつかないのだろうし、私も「椿さん」なんて言われたら、寒くなるだろう。
やはりこのほうが心地いい。

 年末になると、今年一年のまとめ、締めくくり的な行事が続き、
テレビは今年のおさらい的な番組や総集編のようなものが放映される。
番組の終わりは「よいお年を」であり、「・・・でありますように」という
来年に望みを託すような言葉で締めくくる。
来年に期待を寄せるというのは、未来に夢を抱き続ける大切なことだが、
今年いいことがなかったことの裏返しかと思うのは思い過ごしか?

 誰もが子供の頃、「この子は大器晩成型だ」と言われた覚えがあるだろう。
子供の成長、成功を願う親たちの希望を込めた言葉なのだろうが、
「今は駄目だがそのうち何とかなるだろう」と言っているような気がしていた。
短絡的に物事を考える性質だから、「来年はよくなるよ」とか「きっといいことがあるよ」という
先々に希望を託す言葉は総じて「今はよくない」「駄目だ」ということを暗に言っているように思ってしまう。

 以前勤めていたホテルの同僚に会った。と言っても年齢差10歳。しかも女性。言葉を選ばなければならない。
私の場合、学校や会社のように団体での会話、行動が主の時は十分に気を付けるのだが、
二、三人の状況、さらにプライベートな時間となると、配慮がなくなる。

 この時もそうだった。そもそも年齢を伺ったときに「半世紀か・・・」と口にしていたのだから、
注意力は完全に欠落していた。
「・・・それで○○ちゃん、きっといいことあるよって言われちゃった。」彼女がそう口にしたとき、
パーッと自分のことを言われている気になってしまった。
そんなわけで「よくこれからいいことあるよ、とかこの先どうだ、
なんてこと言われるんだけど・・・大器晩成って言われているのと同じ感覚だね。
60歳過ぎた人間に“これから”って言われてもね・・・」

 笑っていたが、どう思っただろう。
 ちなみに大器晩成の意味であるが、「鐘や鼎のような大きな器は簡単には出来上がらない。
人も大人物の才能が現れるのは徐々に成り立つものである」ということらしい。
少なくとも今を鑑みて、現在は駄目だが、この先伸びるよといった現状回避、先にいざなうような言葉ではない。
文字通り大器とは簡単になるものではない。我々は勘違いをして、その言葉をとらえ利用することがある。
自分に都合のいいようにとらえるのではなく、素直に受け止めることも必要かもしれない。

「言葉の階(きざはし)」第二十三章:色なき風

2018年12月20日 木曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十三章:色なき風

特別連載企画 第二十三章 ~ 色なき風 ~

 
10月に入ったばかりの頃は気温が30度を超える日もあり、「また夏日」なんて言葉も耳にしていた。
次第に汗も引き、冬服をハンガーにかけるようになった。
本来なら秋の夜長を感じ、夜更かしが似合う季節――秋は足早に過ぎてしまい、
今は、冷たい風が吹く季節の中だ。カラッとした陽気に包まれしのぎやすい秋日は数えるほどになってしまった。

そんな秋めいた陽気の折に吹く風を「色なき風」というが、元々風に色などないのに、
何故あえてこんな表現をしたのだろう。
平安時代、さかんに歌が詠まれていた時代、中国の影響もあって、
人々は四季それぞれに相応しい色を結びつけていた。春―青春。夏―朱夏。冬―黒帝 そして秋は白秋、
しかし白と言ってもこの場合、現代のようなおしろいのような色を差すのではなく、
色のないものを「白」と表していた。
無色透明で澄んだ風はまさに秋の代名詞として「色なき風」と表現したのだろう。

 ところで季節を表す風の表現っていくつかある。
思い浮かぶものを挙げてみると、春なら東風、風光る・・詩人になったようでいい感じ。
夏は薫風、はえ・・盛夏になるとなんか濃いなって感じ。
秋はひとまず空けて冬、凩、ならい・・襟を立てるって感じ。
それにしても漁師が使う言葉が多くなるのは納得するね。

 私は幼い時から、あまり目立たないおとなしい子と見られてきた。
面白いもので私より口数はずっと少ないのに、なぜか雰囲気が賑やかな人間がいる。
誰が隣の席についても、周りが明るく口を開き、その場を和ませる。
私はと言えば人の話に頷いたり、相槌をうったり・・・。
オーラがなく、明るさがないんだろうな。だからそんな人間を見ると、どうにも羨んだものである。

 大学時代に「お前は白い色が好きなのか?」と上級生から言われたことがあった。
どういうことかと言えば、自分の個性も発揮しないで、人の色に染まっていくタイプだということだった。
なんとなく癇に障るような言い方、いや私自身気にしていたことだったので、
「人の色を柔らかくし、穏やかにする面もあるのかと思いますが・・・」と思わずうそぶいてしまった。

 その当時はあまり思わなかったが、自分の欠けているものを直していくことも必要。
でもそんな自分の性格、持っているものを生かすのも必要ではあるまいか?
若い頃はすべてに「優れている」ようになりたく、周囲から認めてもらいたいと思っていた。
しかし、そうはならない。自分の不得手が見えてくる。話すことが苦手だったら、それでもいい。
人を引っ張っていく裁量がなければ、それでもいい。大切なのは、正面を向いて人の話につきあうことだ。

 秋という季節は昔から好きだった。若いうちから変に年寄りじみた傾向があって、
華やかなものより、落ち着いた地味なものを好んだ。
ちなみに色なき風とは、具体的に身にしむような秋風の寂寥感のことを言う。

僧侶の方向け講演会 第二回

2018年12月17日 月曜日

僧侶の方向け講演会 第二回

「ストレス社会に必要なコミュニケーションと

アンガーマネジメント(怒りのコントロール)」

 

10月の一回目に続き、先月11月末に日蓮宗の僧侶の方に向けた講演会の二回目を開催致しました。
今回は長野県の安立寺に伺い、20名超の僧侶の方を前に弊社代表理事の鈴木伸英が登壇を致しました。
多くの人が抱える「ストレス」の実態や現状を理解して頂いた上で、
僧侶としての対応の仕方や一個人としてのストレスとの向き合い方をお話し、
今後の教えに役立てて頂けるよう語り合いました。

前半はストレス社会に必要なコミュニケーションとして講演にご出席頂き、
後半はアンガーマネジメントやコミュニケーションのグループワークの実践もして頂きましたが、
積極的に周りの方とコミュニケーションをはかり、他の方の意見や新しい見方を取り入れようとする僧侶の皆様の姿は、
大変心打たれるものでした。

ご協力、ご参加頂きました日蓮宗の僧侶の皆様、また関係者の皆様、誠にありがとうございました。

講演にご興味のある方や、インタビューの依頼などのご連絡も随時受け付けております。
下記までご連絡下さいませ。


担当者名:村松
TEL:03-5530-8730  /   メールアドレス:info@comskillhp.com 
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