「言葉の階(きざはし)」第二十章:小さい秋見つけた
「言葉の階(きざはし)」第二十章:小さい秋見つけた
特別連載企画 第二十章 ~ 小さい秋見つけた ~
標題の唱歌は、小学校に入学して始めて音楽の授業で習った歌である。 秋の歌だから1年生の夏休みが終わり、2学期に入ってから教わったのだろう。 じゃー1学期は何を教わっていたのだろう。もう55年の歳月が流れたので定かではないが、 入学した年の1学期は、通常の授業はなく、手先を使った作業ばかりしていたような気がする。 2年生の時だったか「教わった中で、一番好きな歌は?」と尋ねられて、 ほとんどの生徒が「小さい秋見つけた」と答えた。他に教わった曲などあまりないのだから当然だろう。 本当は「潮来笠」か「いつでも夢を」と言いたい子もいたかもしれない。 ところで、クイズ番組で「『小さい秋見つけた』の出だしはどんな歌詞でしょう?」 という問題が出題されたことがあった。ありがちな問題である。 題名が歌の歌詞として複数回出てくるものって、なんとなくその1節が印象に残る。 だからこのときも「小さい秋見つけた 小さい秋見つけた」と答える人が多かったように記憶している。 ちなみに正解は「誰かさんが、誰かさんが、誰かさんが見つけた」である。 ところで、この「小さい秋見つけた」という曲が出ると、 必ずと言っていいほど小学校時代は尋ねられることがあった。 「小さな秋って気づいたものある?」と。この小さな秋って言葉が微妙だ。 単に秋だったら、コスモスでもコオロギでも紅葉でもいいだろう。 でも小さいという表現のため、 たとえばコスモスでもコオロギでも庭先のとか裏の空き地などという言葉を添えないと 「小さい秋」というイメージにならない。 紅葉も色づくのが晩秋であり、山を彩る様は、大きな秋というイメージを醸し出す。 幼い生徒は一生懸命考える。小さい秋って、秋になったばかりだと感じさせるもの。 「お芋食べた」{そうだね} 「石焼き芋食べた」{ちょっと違うかな} 「・・・」 「キリギリスが羽をすっていた」{そうだね} 「セミが大合唱」{う~ん ちょっと違うかな} 「いいじゃないの、暦の上では・・・」 「葉っぱが1枚落ちた」{そうだね} 「落ち葉の道を歩いた」{ちょっと飛ばしすぎじゃ?}「でも集めれば・・・」 昨年のことである。 9月10月でも汗ばむ陽気が多く、 暦の上では秋が深まる頃なのに半そでのYシャツを片付けることがなかなかできなかった 。立冬を迎えるまで半そでのYシャツが必要かと思い始めていた。 その日も紙袋にクリーニングに出すものを入れていた。ところがやけに寒い。 いきなり冬将軍かと思わせるどんよりとした雲。そして北風。 私は冬の装いで夏の衣類のクリーニングを依頼してきた。なんか極端な陽気だと思いつつ。 どうも過ごしやすい季節が置き去りにされた感じだ。 世の中総じて帳尻が合えばいいというのか? 9月10月の平均気温とか一月の降水量や日照時間の数字が告げられる。 でも、あれほど被害をもたらした日のことも我々は記憶にとどめなくなっている。 ましてや今年の平均気温は・・・なんて言われると、 温暖化が進む、氷河期が来るかもしれないと総論的な言葉で済ましてしまう。 季節は徐々に移っていくのに、ちょっと変わってきた。 「小さい秋」も見つけるのが難しい。気が付けば年の瀬だ。 そのうち秋そのものの季節がわからなくなるかもしれない。