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「言葉の階(きざはし)」第二十一章:暴力の根源は自らにあるのか


「言葉の階(きざはし)」第二十一章:暴力の根源は自らにあるのか

特別連載企画 第二十一章 ~ 暴力の根源は自らにあるのか ~

 

 

 日本海を挟んで向かい合う、我が国に最も近い国、北朝鮮。
しかしながら、日本人拉致事件、貧しい国家経済にも拘わらず、
国力を誇示するために核開発を進め、新型のミサイルを生み出す。
当然我が国、日本のみならず世界各国にとって脅威になっているのは間違いない。

ところが、軍事力を進める度に発せられる声明に目を通すと、
「我が国に侵入してくる外敵から守るため」という文言が付いている。
核開発は侵略、攻撃のためではなく、あくまで自国防衛のためだと言っているのだ。

始めてアメリカに行ったとき、きわめて明るい国で楽しいのだけれど、
危険な国という想いも持った。ロスアンゼルスのニューオータニ。
ホテルの周辺は中心から外れ、夜は闇の中だ。
車に乗っていても、横断歩道で信号待ちをしていると、ふらついている黒人がそばに寄ってくるんじゃないかと思ってしまう。
この旅行の時も、現地の人とコンビニのようなところにショッピングに行った折、
カメラで店を撮ったら、黒人にからまれた。
明らかに言いがかりだが、「俺たちのことを写しただろ、カメラをよこせ」と言ってきた。
そんな記憶もあったから、信号が青に変わり、車が走り出すまでの時間がやたら長いように思えた。

「この地にいたら、身を守るためのモノが必要だ」そう思うだろうな。
しかし、そんなものを手にしたところで、どれだけ役にたつのだろう。
かつての西部劇のように、襲ってくる相手をバッタバッタ撃つことなんてできるわけもない。
武器は武器としての価値を有するばかりで、実用的なものではない。
利用するには使用の「how to」を理解して、覚悟をもつことが必要となる。

電車内でいざこざがあり、一方が刺されるという事件があった。
刺すということは護身用であれ、何か武器を手にしていたということだ。
護身用と言い、自分を守るためと言い、
人は周囲の人間が自分に対して嫌悪感を持っているかもしれない、と疑念を抱き、それが恐怖心とつながる。
その意識が過剰の防衛意識をもち、何かを身につけなければ落ち着かない。
すなわち「あっちが私に敵意を抱いていたから・・・」
「ナイフを出さなければ、こちらがやられていた」という気持ちになる。
武器を手にすれば、今度は相手も同じことを考えているかも、と疑念を抱くようになる。

交差点で肩が触れる。偶然と思うより先に「自分にからんでいる」という意識が先にたつ。
思わず鋭い目つきで相手を睨んでしまう。
相手は「まずいことをした」「向こうは悪意を持っている」という意識が、
自身のもつ防衛意識を過剰なまでに強める。

「きっとやられる」そんな意識が強くなる。
何か武器を手にするということは、逆に手にすることで周囲の視線が気になり、怯えるものだ。
「彼らも同じようなものを持っている」その想いが強くなって被害者意識を抱くようになる。

北朝鮮が新たなるミサイルを生み出し、それを誇示している。力の誇示は新たなる力を呼び起こす。

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