「言葉の階(きざはし)」第二十三章:色なき風


「言葉の階(きざはし)」第二十三章:色なき風

特別連載企画 第二十三章 ~ 色なき風 ~

 
10月に入ったばかりの頃は気温が30度を超える日もあり、「また夏日」なんて言葉も耳にしていた。
次第に汗も引き、冬服をハンガーにかけるようになった。
本来なら秋の夜長を感じ、夜更かしが似合う季節――秋は足早に過ぎてしまい、
今は、冷たい風が吹く季節の中だ。カラッとした陽気に包まれしのぎやすい秋日は数えるほどになってしまった。

そんな秋めいた陽気の折に吹く風を「色なき風」というが、元々風に色などないのに、
何故あえてこんな表現をしたのだろう。
平安時代、さかんに歌が詠まれていた時代、中国の影響もあって、
人々は四季それぞれに相応しい色を結びつけていた。春―青春。夏―朱夏。冬―黒帝 そして秋は白秋、
しかし白と言ってもこの場合、現代のようなおしろいのような色を差すのではなく、
色のないものを「白」と表していた。
無色透明で澄んだ風はまさに秋の代名詞として「色なき風」と表現したのだろう。

 ところで季節を表す風の表現っていくつかある。
思い浮かぶものを挙げてみると、春なら東風、風光る・・詩人になったようでいい感じ。
夏は薫風、はえ・・盛夏になるとなんか濃いなって感じ。
秋はひとまず空けて冬、凩、ならい・・襟を立てるって感じ。
それにしても漁師が使う言葉が多くなるのは納得するね。

 私は幼い時から、あまり目立たないおとなしい子と見られてきた。
面白いもので私より口数はずっと少ないのに、なぜか雰囲気が賑やかな人間がいる。
誰が隣の席についても、周りが明るく口を開き、その場を和ませる。
私はと言えば人の話に頷いたり、相槌をうったり・・・。
オーラがなく、明るさがないんだろうな。だからそんな人間を見ると、どうにも羨んだものである。

 大学時代に「お前は白い色が好きなのか?」と上級生から言われたことがあった。
どういうことかと言えば、自分の個性も発揮しないで、人の色に染まっていくタイプだということだった。
なんとなく癇に障るような言い方、いや私自身気にしていたことだったので、
「人の色を柔らかくし、穏やかにする面もあるのかと思いますが・・・」と思わずうそぶいてしまった。

 その当時はあまり思わなかったが、自分の欠けているものを直していくことも必要。
でもそんな自分の性格、持っているものを生かすのも必要ではあるまいか?
若い頃はすべてに「優れている」ようになりたく、周囲から認めてもらいたいと思っていた。
しかし、そうはならない。自分の不得手が見えてくる。話すことが苦手だったら、それでもいい。
人を引っ張っていく裁量がなければ、それでもいい。大切なのは、正面を向いて人の話につきあうことだ。

 秋という季節は昔から好きだった。若いうちから変に年寄りじみた傾向があって、
華やかなものより、落ち着いた地味なものを好んだ。
ちなみに色なき風とは、具体的に身にしむような秋風の寂寥感のことを言う。

コメントをどうぞ

Spam Protection by WP-SpamFree

▲ページの先頭へ戻る