「言葉の階(きざはし)」第二十四章:大器晩成
「言葉の階(きざはし)」第二十四章:大器晩成
特別連載企画 第二十四章 ~ 大器晩成 ~
実家に帰ると、人数は少なくなったが、私が幼い時分からここに居を構えている人達と顔を合わせることがある。 話すこともない付き合いになってしまったが、それでも懐かしさが沸いてくる。 「元気?」の問いかけ、「お疲れ様」のねぎらいの言葉が通り過ぎれば、背を向けるだけだが、 後姿をじっと見られている気がする。 ここでは、「ますのりちゃん」「ま~ちゃん」という呼び名で今でも呼ばれる。 もう60歳も過ぎて「ちゃん」付けでもあるまいし、と思うが 他にどう呼んでいいのか思いつかないのだろうし、私も「椿さん」なんて言われたら、寒くなるだろう。 やはりこのほうが心地いい。 年末になると、今年一年のまとめ、締めくくり的な行事が続き、 テレビは今年のおさらい的な番組や総集編のようなものが放映される。 番組の終わりは「よいお年を」であり、「・・・でありますように」という 来年に望みを託すような言葉で締めくくる。 来年に期待を寄せるというのは、未来に夢を抱き続ける大切なことだが、 今年いいことがなかったことの裏返しかと思うのは思い過ごしか? 誰もが子供の頃、「この子は大器晩成型だ」と言われた覚えがあるだろう。 子供の成長、成功を願う親たちの希望を込めた言葉なのだろうが、 「今は駄目だがそのうち何とかなるだろう」と言っているような気がしていた。 短絡的に物事を考える性質だから、「来年はよくなるよ」とか「きっといいことがあるよ」という 先々に希望を託す言葉は総じて「今はよくない」「駄目だ」ということを暗に言っているように思ってしまう。 以前勤めていたホテルの同僚に会った。と言っても年齢差10歳。しかも女性。言葉を選ばなければならない。 私の場合、学校や会社のように団体での会話、行動が主の時は十分に気を付けるのだが、 二、三人の状況、さらにプライベートな時間となると、配慮がなくなる。 この時もそうだった。そもそも年齢を伺ったときに「半世紀か・・・」と口にしていたのだから、 注意力は完全に欠落していた。 「・・・それで○○ちゃん、きっといいことあるよって言われちゃった。」彼女がそう口にしたとき、 パーッと自分のことを言われている気になってしまった。 そんなわけで「よくこれからいいことあるよ、とかこの先どうだ、 なんてこと言われるんだけど・・・大器晩成って言われているのと同じ感覚だね。 60歳過ぎた人間に“これから”って言われてもね・・・」 笑っていたが、どう思っただろう。 ちなみに大器晩成の意味であるが、「鐘や鼎のような大きな器は簡単には出来上がらない。 人も大人物の才能が現れるのは徐々に成り立つものである」ということらしい。 少なくとも今を鑑みて、現在は駄目だが、この先伸びるよといった現状回避、先にいざなうような言葉ではない。 文字通り大器とは簡単になるものではない。我々は勘違いをして、その言葉をとらえ利用することがある。 自分に都合のいいようにとらえるのではなく、素直に受け止めることも必要かもしれない。