「言葉の階(きざはし)」第二十六章:名前
「言葉の階(きざはし)」第二十六章:名前
特別連載企画 第二十六章 ~ 名前 ~
今年生まれた子供さんたちにつけられた名前で、どのような名前が多かったか、 そんな記事が公になっている。 男子、蓮(れん) 大翔(ひろと) 陽翔(はると) 女子、葵(あおい) 結菜(ゆうな) 陽葵(ひより) 男女それぞれ上位三つを上げると、以上のようになっている。 ――男、――夫、――子ばかりがあふれていた私たちの小学校時代と比べると、想像もつかない命名である。 私の「益紀」という名前であるが、当時としては珍しかったのだろう。 小学校の低学年の頃からよく読み方を尋ねられたものだ。 幼い頃なら「わからない、でもまあちゃんと呼ばれているよ」と答えても、かわいいと思われるが、 いつまでも通用するものでもない。 「椿くん、何て読んだらいいんだろう、君の名前?」 と、小学校入学の時だけでなく、少し大きくなってからも訊かれたこともあった。 たまに「つばきでいいですよ」と答えたりしたが、知りたいのは姓の方ではなく、 名であることは間違いなかった。我ながら可愛い子供じゃなかった、と思う。 ただ、何度も聞かれると、またかよ、と表情に出てしまう。 親はその名を背負って我が子はどのように生きていくかと、命名する時にはいろいろなことを考える。 その名が果たして運をもたらすか、画数はいいか、占星術まで頼んで、我が子の名前を考える。 ありきたりではなく、しかし突拍子もないものでもなく、さりとてやはり「今」を感じさせる名前だ。 今は自分の名前の由来も知らなくても、やがては親の想いを知ってほしい。そんなことを思いながら命名する。 私は自分の名前が訓読み、訓読みといわゆる重箱読み、湯桶読みでないことを知ったとき、 「さすが我が両親」と感心したが、それでも「ますきくん」と呼ばれると 「変な名前つけて」「こんなわかりにくい名前のせいだ」と、やはり矛先は親に向けていた。 私の5歳違いの姉は「真知子」という名前だ。この名前を幾度となくうらやましく思った。理由は単純。 1、誰もが「まちこ」と読めること 2、当時「君の名は」が流行。「真知子」という名は誰もが親近感あり そんな姉夫妻は生まれた第一子に「匡展」と命名した、読めなかった。 そもそも自分の名前が周囲に正しく理解された人間は、 自分の子に難解な名前をつける傾向にあるのではないか・・・と思ったが、どうだろう? 小学校に通っていた甥に「名前、何て読むんだ?と訊かれたことないか?」尋ねたことがある。 明るく「あるよ」と返答された。全く負の因子などなく、元気に。いい子だと思った。 そんな甥も40歳、1男1女の子供持ちだ。 改めて「子供の頃から、よく名前聞かれなかった?」と訊いてみたいが、 親が子供に自分の願いと想いを託したものに何ら不満などなかったのだろう。 考えてみれば、私よりずっと数多く、人から名前を尋ねられたのだろう。 子供の名前に同名はあるが、その人数分の親の想いがあることはまちがいない。 我が子の将来を案じ、願いを込めてつけた名前だ。 頂いた我々子供は、親からの大切な贈り物と考えるべきだろう。