「言葉の階(きざはし)」第二十九章:親の愛聴していた曲


「言葉の階(きざはし)」第二十九章:親の愛聴していた曲
特別連載企画 第二十九章 ~ 親の愛聴していた曲 ~

  

40歳も年齢差がある保険会社の外交員と音楽の話になった。
「で、どんな曲が好きなの?」と尋ねると、私に気遣っているのだろうか
「サザンとか好きですね」「でも君の年齢でサザンって、ちょっと古くない?」
「自分の両親がよく聴いていて・・・それで自分も」ありがちな返答である。
前の会社でも、今のところでも私は年齢差があるスタッフと飲食を共にすることが結構ある。
そんな時、よく話題になるのが、この好きな歌手であり、曲だった。
「誰がいい?」「どんな曲が好き?」という私の問いに、帰ってくる答えは、ユーミンにサザン。
海外ならビートルズ。この返答は本当に多い。

 私の父は年末になると、必ず「懐かしのメロディ」的な番組にチャンネルを合わせていた。
「東海林太郎に藤山一郎、霧島昇に二葉あき子・・・いつも変わり映えしないな」と、よく憎まれ口を吐き、
「いつもいつも同じ歌うたって・・・」と、そこにあるものは、自分の気に入っているものと対極にあるもの、
時代にそぐわない曲というある種の嫌悪感をもって臨んでいた。

だから今日、若者が親の聴いていた曲を好きになってしまうというのは、にわかには信じられない。
たとえば、「岸壁の母」を聴いても、「赤城の子守歌」を耳にしても、
そのメロディは覚えていても、親しみをもつことはない。
悲しいかな、私たちにとって音楽で両親と共通の話題をもつことはなかった。

 容易に理由は考えられる。父の時代と私たちの頃とでは、音楽が大きく変わった。
戦前から続いてきた音楽の流れは、敗戦という事実から戦前のものはすべて排斥するようになった。
私が音楽を聴き始めた頃、父の好きな歌手が歌の番組に出ることはまずなかった。

  先日NHKの「SONGS」という番組を観た。 
学生時代よく耳にした中島みゆきのそれも本人が歌っている映像が流れてきた。 
曲目は40年前の「ホームにて」、そしてその少し後の「蕎麦屋」。 
いずれもシングルのA面という輝かしい期待と実績をもった曲でもないので、知っている人は多いわけでもない。
でも、あの頃我々がよく耳にしたシンガーソングライターが半世紀近く時を経た今日、第一線にいることに驚く。
 やはり独自の世界と才能をもった人達が多かったのだろう。 
ましてこんな日の当たらない曲が流れること自体驚きだ。ユーミンにみゆき。 たくろうに陽水、サザン…。
親が聴いている曲は自然とその子供にも受け入れられていったのだろう。  
「ホームにて」はヒットした「わかれうた」のB面の曲だから、ラジオから流れることもあった。 
しかし、「蕎麦屋」の方はアルバム、そのタイトルも「生きていてもいいですか」となるから、 
購入しようと思っても思わず手を引っ込めるという感じだ。当然、「蕎麦屋」を耳にすることはまずない。
 ところが、一度耳にすると、そのメロディが耳から離れず、思わず口ずさんでしまう。 
挙句、飲みに行くと「人がつらいとき、慰めたり、いたわったり、励ましたりするのも友情だろう。
 でも相手の気持ちまで堕ちるのも友情。」なんて口にしてはいい気になっていた。  
そんなに心酔した曲だが、耳にするのは本当に久しぶり・・・自分にとってはそんなものかと思った。 
それでも、心にスライドを映すように曲をたどっていたら、父のことが思い浮かんだ。 
めったにテレビを観ることもなかった父がこの音楽だけは心待ちにしていた。 
父の心に強く残っていたもの。誰も話題にすることもなくなったシベリア抑留のこと、 
日本に帰ってきたら戦争のことは遠い過去になっていた母国。
シベリアから帰ってくる人、若狭湾で待ちわびる人。 一方新しい日本を待ちわびる人達。  
まるで自分の居場所もないような気持ちだったのかもしれない。
時代に取り残されていくように感じていたかもしれない。 
だから父にとって好きな曲を耳にするのと、自分のそれとでは明らかに違っていた。 
なぜか口の回りがしょっぱいような気がした。思わず「蕎麦屋」を口ずさむ。 
風は暖簾をバタバタなかせて、ラジオは知ったかぶりの大相撲中継♪

 

 


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