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「言葉の階(きざはし)」第三十三章:花野


    「言葉の階(きざはし)」第三十三章:花野
      特別連載企画 第三十三章 ~ 花野 ~




 地名で最後に「野」という言葉がついていると、言葉が締まるような感じで落ち着く。
安曇野、津和野、遠野という地名は全国区の知名度で、観光地としても人気がある。
言葉のリズムに日本らしい響きがあって、足を運ぶ前から日本的な情景が目に浮かぶ。
これらの地域より小さないわゆる町名でも奈良の春日野、京都、嵯峨野。狭い地域では化野。
どうやら「お」という母音で締めると、日本的な語感を呼ぶと勝手に思い込んでしまう。

 今年夏の終わりから秋にかけて、日本列島は台風の通り道のようになっていた。
「10年に一度の大型台風」という表現から「50年に一度」「100年に一度」という表現になり
、その被害が本当に甚大なものであることを伝える。
そして「最大級の被害」をもたらすものとして流した表現が、
毎年日本のいずれかの地に訪れるものだから、「去年もそんなこと言ってたよね」と、
毎年この時期の「慣用句」のような印象になっている。
早晩このような気候が当り前になるのだろう。

 以前、夏と冬の間に秋があった。
 同様に冬と夏の間には春があった。

 ここ数年、半袖のYシャツをクリーニングに出すときでも、秋が深まった時期になると、
ジャンバーのようなものを羽織るようになる。
こんな晩秋の頃まで半袖を着ているのがおかしいのか、
温暖化の影響か、つい2週間ぐらい前は、半袖がちょうどよかった。

 「花」といえば春の桜を指すのが一般的だ。
この時期、梅、桃、リンゴ、杏子と白から淡いピンク、
そして暖色のピンクの花が次から次へと開花する。
私も山梨・笛吹川沿いの地域を春のこの時期に足を延ばしたことがある。
あたり一面に桃の花が咲く姿はまさに桃源郷だった。
そんなわけで初めて「花野」という言葉を耳にした時、
イメージした景観は鮮やかな白、黄、ピンクの花に包まれた里の姿、まぎれもなく春のそれだった。

 ところが、春のページをいくらめくっても「花野」という言葉はでてこない。何のことはない。
これは秋を表わす言葉として載っていた。
全く分かりにくいなあと思いつつ、解説文を読んでみたら納得した。
山上憶良の「秋の野の花を詠める」と記された一首だ。

「萩が花尾花葛花なでしこの花女郎花また藤袴朝顔の花」

あまりにも有名な万葉集に収められている歌が説明文に添えられていた。
秋の花はさまざまな色で咲き誇る。赤、橙、黄いろ、それだけじゃない臙脂から青に至る、
まるで色を当てるがごとく百花繚乱の様だ。
春は「里を彩り、野を染める花」というイメージとすれば、
秋は「花それぞれの色を身にまとう野の風景」とでもいうべきか。
つまり春は花そのものに価値を見、秋は花という言葉は野を飾るものとなる。
だから野の色、山の色というそれだけで秋の山野を表すことになる。

 考えてみると、漢字をしっかり理解すると、モノの形や意味が浮かんでくるような気がする。
私が今住んでいるところの近くに「向河原」という駅がある。
おそらく、多摩川を挟んで武蔵の国の住人が
「向こうの河原に・・・」 などと言葉を発したのだろう。
もし、川がなければ、「この草で生い茂った原っぱは」と言い、
漢字は「向ヶ原」という文字を当てはめるのだろうか?

 Typhoonという言葉がまだ日本に入っていなかった頃、
今日の「台風」は「野分」と称された。
風雨荒れる台風はもちろん、強風が吹きすさぶものまで総じて「野分」と呼んだ。

「野を分けるもの、私の解釈からすれば秋を分けるほどのモノ・・・だから
今年のように台風が多いと秋はなくなるんだ」と友人の前で、一人悦に入って口にした。
「何言ってんだ」と相手にされなかった。


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