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「言葉の階(きざはし)」第三十九章:見上げてごらん


「言葉の階(きざはし)」第三十九章:見上げてごらん
特別連載企画 第三十九章 ~ 見上げてごらん ~


見上げてごらん、夜の星を・・・というけれど

 3年前の12月、発熱による影響か、
その時飲んだ解熱剤が合わなかったのか首の筋肉が硬直するようになった。
要は首が上がらない。左右に自由に動かせない。首の可動範囲が著しく狭くなったのだ。
 自由に動かせることができない、ということは必要以上に不便を感じる。
可動域の方が実は広いのに、不自由さばかりが気になり、ほとんど動かないような気がする。
「おかしい」と実感したのは、研修で品川の施設にいたときだ。
首が思うように動かない、視界が狭くなったように感じる。
これだけで、心理的に圧迫されるには十分だ。たちまち業務を終え、帰宅するよう言われた。
 普段何気なく利用している駅、それがどれほどの恐ろしさを感じさせるか、この時思った。
何しろ首が上がらないから標識が見えない。
2番線ホームだ、4番線ホームだと乗るべきホームに向かうのだが、
視界に入るのは半径1メートルの足元の部分。
歩けど歩けど大理石かコンクリートか、同じ模様の地面が続く。
構内を歩いている利用者は私のような乗客がいるなんて全く頭にない。

 不安感というのは息苦しさを感じさせ、焦燥感が汗を呼び起こす。
気持ちが楽な時はこうならない。自分のペースを定め、焦りを感じることもない。
目に入る景色を楽しむというのは、まさにこの感じだろう。
ところで、同じように木々を染め、一面鮮やかに色づく植物もまた、
その木の種類によって観る感じ、度など立ち位置も異なってくる。
たとえば紅葉を目にするとき、あまり木の下から見上げるようなことはしない。
ところが、桜・・・これは花見というものがあるからだろうか、
満開の木の下から愛でるのが楽しい。梅も色は桜と変わらないのに背丈のせいだろう、
全体を見渡す花のような気がする。
 久しぶりに「花」を見に行った。現代では珍しい「野生の藤の花」。
場所は岩手県一関あたり、猊鼻渓という舟下りの名所だ。
100メートルもある断崖に紫の王冠をちりばめたような風景。
当然見るには顔を上げなくてはならない。

間違いなく見上げて初めて咲いていることに気が付く
 意識的に顔を上げ、意図してみるという行動になるのだから貴重なことだ。

自然に目に入るのではなく、視点と関心を向けるのだから、
まるで「幸せ」をつかむようなものだ。

 


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