「言葉の階(きざはし)」第四十章:友情
「言葉の階(きざはし)」第四十章:友情
特別連載企画 第四十章 ~ 友情 ~
高校受験から早半世紀の歳月が経とうとしている。 人生で初めて経験するふるい落とし、受験。 あの頃、通っていた中学の生徒の多くは、私立の高校に誰も振り向かず、 公立の高校に進学することだけを考えていた。 男子は旧制中学の名残をとどめる都立小山台高校への進学を目指し、 女子はグループを組みがちな私立よりは都立の方が安心と、 それぞれ自分に合う高校をめざしていた。 当時の入試は英国数の3教科。 その中で、国語の試験には小論文があり、点数の20%程度が割り当てられる。 朝日新聞の天声人語、読売新聞の編集手帳、 毎日新聞の余禄などよく読むようにといわれていた。 友人と「身近なテーマがいいよね。 クラブのこととか、友達のこととか、普段考えていること・・・」 と口にしていた。この普段考えていることというのが当てにならない。 身近なことというのは、それゆえに論理立てて考えない。 英文和訳で凡その意味がわかると、しっかり日本語におろさないのと同じである、 しっかり自分の言葉で著さないと理解したことにはならない。 その時のテーマは「友情」だった。
心の中で「やった!」という声が聞こえてくるような気持だった。 まちがいなく今年の入試問題は「あたり」だと思っていた。 サイモンとガーファンクルの曲で「冬の散歩道」という曲がある。 「明日に架ける橋」や「サウンドオブサイレンス」などに比べると地味だが、 全米ヒットチャートで20位内に入った曲であり、 何より日本語に訳された詞をたどると、その繊細な内容に引き込まれる。 おりしも当時私は誰とでもうまく付き合うタイプではなく、 特定の人間と友情を深めるタイプだった。 当時、学校の授業が終わると、その友人の家に行き、 あるいは友人が我が家に足を運び、表向き勉強。 実はゲームに興じ、おしゃべりに夢中になっていた。 「さあ帰るか・・・」となると、必ず見送りということに相成り、 この見送りが単なる「見送り」ではすまない時間に及ぶ。 当初は「帰ってくるのを待とう」と言っていた食事も、 当然箸をつけるものになり、いつの間にか水洗いまで終わるものになっていた。 ある日、友人が「俺にとっての“冬の散歩道”がある」と語りだした。それは。 我々が住んでいる地域では、小学校時代に必ず遠足で足を運ぶ九品仏だった。 「じゃ、行くか」と、足を運んだ。 落ち葉敷き詰めた初冬の参道は踏みしめるたびに、その感触が心地いい。 当然家に帰るのも遅くなった。 「どこ行ってたの?」これも当然言われる言葉だった。 高揚する想いから焦りに変わり、空白になったアタマに、 実際に書き著すことがいかに重要か思い知らされた。 今日でも、論理的に事象を詳らかに説明する文章は書けない。 抽象的にイメージをわかすものしか書けない。 「自分の席の前に座っている・・・」と書き始めた文章は、 その後もなかなか言葉が出てこなかった。 その友人のこと、そしてサイモンとガーファンクルの 「冬の散歩道」のことがずーっと頭に残った。 だから友情という言葉を尋ねられると、条件反射的に冬のこんな風景が頭に浮かぶ。 そして思い浮かべたことを書かないと、わからなくなるものと、肝に銘じている。 この曲は予期せぬうちに、唐突に終わる。 クロージングの演奏もなく、スタッカートのリズムを刻みながらいきなり終わる感じだ。 準備をしておかないと、痛い目に遭うとでも言いたげに・・・