「言葉の階(きざはし)」第四章:我慢することで見えてくるものも
特別連載企画 第四回
~ 我慢することで見えてくるものも ~
ティールーム、窓際の席に若い男女が向かい合って座っている。 交わす言葉もほとんどなく、下を向いてスマートフォンに興じている。 たまに顔を上げて一言二言。 二人の会話は口に出して語る言葉でなく、スマートフォンに並ぶ文字によって進められている。
私たちが若い時代に携帯電話はなかった。 多くの家庭は三世代が同居し、家にある通信機器はダイヤル式の固定電話が1台あるだけだった。 電話というものは連絡などが必要な時に使うものであって、 プライベートな会話をするときに使うものでも、 ちょっとしたよもやま話をするためのものでも、少なくとも我が家ではなかった。
それでも学校では、電話連絡網のようなものが配布され、 気になる女の子の電話番号も必然的に目に入ってくる。 その相手にちょっと連絡したいことがあったり、聞きたいことがあれば電話できる条件はそろっていた。
テレビは家族そろって観るものだった。だから野球、大相撲、プロレスなどのスポーツ中継。 大河ドラマや日曜劇場などの一家団欒を表すような番組をどこの家庭でも観ていた。 今じゃ考えられないが、大晦日の紅白歌合戦が80%程度の視聴率をあげていたのも、 大河ドラマが安定した視聴率を上げていたのも、 この三世代同居という当時の家族の在り方によるものが大であった。
お正月の準備も済ませた大晦日の夜、そして毎日曜日の夜は用事もなく、 家族そろってテレビを観ようという感じだった。 当然ながらテレビを目にはしていたが、観たい番組を観るということではなかった。 電話も同様だった。「食事の時ぐらいは控えろ」であり、 「昼日中からそんなにかけるところがあるのか」という言葉が投げかけられるのが常だった。 今日のように、観たいものがいつでも観られる、話がしたいときに話すという時代ではなかった。
そんな感じだからまれに女の子に電話する時は緊張する。 胸の高鳴りが激しくなればなるほど逆に恐怖心が芽生えてくる。 すなわち、もしお父さんが受話器を取ったらどうしよう、 こんな夜にどういった要件かと尋ねられたらどうしよう、 そんな思いの末、呼び出し音が何度か鳴るうちに「今日はいいや」と自分に言い聞かせて、 受話器を降ろすこともしばしあった。
「我慢する」「相手の状況を慮る」人に囲まれた生活をしていると、 そんなことを頭に入れておかなければならない。 しかし、今日のように個人主義が強くなり、核家族化が一般的になると、そんな意識は希薄になる。 たとえば電話をかけて相手が出たときにどういった言葉をかけたらいいのか、 たとえば夜何時ごろまでなら電話をかけていいものか、 そんなことを今の若い人は思っているだろうか?話したいことがあれば、いつでも話せる。 伝えたいことがあれば、何時でも可能な今日。 かえって、会えることのありがたみを忘れるようになってしまったような気がする。
私たちは・・・そう、いくらでも話すことがあったかな。