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「言葉の階(きざはし)」第九章:紫陽花の頃


「言葉の階(きざはし)」第九章:紫陽花の頃

  特別連載企画 第九回 ~  紫陽花の頃 
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ひとつのことに懸命になることが苦手だ。
学生時代、試験の時でも、気が散ってしまい、どうも頭に入ってこない。
たとえば世界史の勉強をしていても、その年に日本は・・・ということに関心がいってしまう、中国・清の溥儀の時代。
さて日本はどんな状態だったか?なんて考えているから、肝心なことは頭に入ってこない。
これはこの年齢(62歳)になっても変わらない。たとえばこの文章だ。
ひとつひとつ順に書き上げることができない。書いている途中で他の文章に気が移ってしまう。
当然読む時も一冊の本をじっくり読むことはしない。旅先で本を一冊しかもっていない限り一気読みができない。
今年は季節の訪れが例年より早い。4月から夏日が全国的に多く、梅雨入りも例年より数日早いという。
当然紫陽花の花も梅雨入りに合わせて色づき始めている。
紫陽花はその花の色が変化することから七変化とか八仙花とか呼ばれる。
この前は青空の下、ピンクだったのに、小雨降る今日は紫ということもある。
そんな鮮やかさに結構歌の題名にもなったかと思うが、思い浮かぶのはアリスとさだまさし、浜田省吾の3曲ぐらい。
ところがいずれも、紫陽花は背景で描かれるだけだ。
たとえば「秋桜」や「ひなげし」「くちなし」などを題名とした歌曲はその花の名前で、
イメージが湧くように作られている。
あるいは〇〇の花のように・・・とその姿に自分の想いを映すといった感じでインパクトを高める。
題名として多い「桜」。これは花期が短いにも関わらず、開花を待ち望む頃、満開の頃、惜しむ頃だったり、
作り手によってさまざまな桜の姿を描く。いずれにしても花を前面に押し出している。

「紫陽花」の花言葉は「移り気」。たしかにそのガクの色を変えていく姿は、そんな想いにもさせるだろう。
山本リンダみたいな歌手に歌ってもらえばピッタリかもしれない。
しかしながら梅雨に濡れた姿を目すると、そうはならない。鮮やかな花にも拘わらず、物憂い気持ちになる。
紫陽花の頃が過ぎ 心寂しい季節がくる
アリスのこの歌の一節だ。これから本格的な夏を迎えるのに、心寂しい季節と表現した。
この花の季節感よりもその佇まいに、このような歌詞になったのだろう。

以前、講師として高崎の大学に通っていた時、行きは新幹線。
帰りは高崎線の在来線普通列車を利用していた。新幹線は高架線上を走るが、在来線は通常の身の丈の視界が広がる。
いつも王子駅近くの飛鳥山公園あたりを走行していると紫陽花の花が目に入ってくる。

かなり広域にわたって紫陽花が植えられているので、いつか歩いてみようと思っていた。
友人にそんな話をしたら、さっそく話がまとまった。
「紫陽花の花を見に行こう」ということになったが、結局紫陽花が咲き誇っているとこには足を運ぶことはなかった。
他のものに興味が行ってしまうのだから、私の想いは相変わらず弱い。

そういえば「アジサイ」の名前の由来であるが、
「アズ」=集まると「サイ」=藍色という言葉を合わせたものという説がある。
「アイを集める」なんて、なんかいいね。



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