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「言葉の階(きざはし)」第十二章:スポーツ界のいやな雰囲気2


「言葉の階(きざはし)」第十二章:スポーツ界のいやな雰囲気2

特別連載企画 第十二回

~ スポーツ界のいやな雰囲気 2

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私はスポーツでも勝負に執着している姿を見ると、ある種の畏怖を感じる人間である。
遊びでやっているうちはいい。さほど強くないクラブで身体を鍛える程度ならいい。
しかし、期待が高まれば勝敗にこだわるようになる。
さらに、それが学生対抗となり、県対抗となると様相は変わる。
ましてや国際対抗となると、国の威信などという言葉がちらつく。
オリンピックは金メダルをとれば歓喜がわき、勝者を讃えるが、他国を排斥するある種のナショナリズムを感じる。
そして期待していた選手が芳しい成績を残さないと、非難の目にさらされる。
これは国ならずとも自分が住んでいる都道府県、通っている学校、その地区ということで、その傾向は顕著になる。
たとえば、夏の高校野球。
各都道府県から予選を勝ち抜いた高校が出てくるものだから、否が応でも郷土愛に火が付く。
それが高じるとミスをした選手への誹謗中傷となり、選手を追い込んでいくこともある。
あの簑島―星稜の延長18回のゲーム。今でも甲子園史上最高の試合といわれる1979年の一戦。
しかしその評価とは別にリードを奪い、あと一人というところで
ファウルボールをキャッチできなかった星稜高校の一塁手は、帰郷ののちしばらく外に出なかったという。
それほど世間の目は怖い。
また、星稜 松井選手をすべての打席、敬遠した明徳義塾に対し、あの時マスコミはこぞって叩いた。
指示した馬淵監督はもう辞めるだろうと思ったが、続行。今日では「高知高校球界の名監督」と評価されている。
一方、敬遠した投手はその後東都大学連盟に加盟する大学に進学。
ただし投手ではなく、外野手として登録されていた。あのとき、監督は「勝ってなんぼのもの」と勝利を優先した。
勝利を手にし、甲子園での勝ち星から名将と言われるが、敬遠した投手の想いはいかばかりのものか?
学生スポーツの判断は難しい。今回、日大アメフト部もごく普通のこととして、判断を下し、実行させた。
そしてこんな騒ぎになるなんて、思ってもいなかった。
恐ろしいことだが、この程度のことなら、過去にも結構あったという認識だ。
さて、自分が根をつめていることは、往々にして「事」が見えてこないものかもしれない。
日本は戦時中、日華事変から太平洋戦争に突入した折、
さまざまなメディアを通して、国威高揚を国民に植え付けようとした。戦争映画を作り、絶え間なく上映。
スクリーンに映し出されるニュースまで「欲しがりません、勝つまでは」と訴える。
お芝居も軍事色に包まれる。情報として流れてくるもの、文化として伝わってくるもの。
スクリーン、ステージ含め、目に触れるものは国家もよって、軍治一色に統一されていく。
さて、スポーツはいかなる道を歩んでいたのか?
外来語、たとえばストライク、ボールは「よし」「はずれ」と日本語に変えられる。
海外のものは駄目、すべて日本語、日本のもの。日本を世の中の中心に据える八紘一宇の世界観。
そのような中で、スポーツの指導、教育はしごきへと連鎖し、
できない人間に対して暴言、いや暴力、力に訴えるようになる。
今回、日大アメフト部で加害者の部員に対して行った一連の行動、言動はまさに昔から続く、
「疎外感」と「悪魔の誘い」に他ならない。知らず知らずのうちに洗脳され、善悪の判断はつかなくなる。
このような対応、指導が蔓延し、相手を憎い対象、忌むべき存在と思わせることは難しいことではない。
「スポーツの日大」というらしい。たしかにこれだけの資金があれば、いい選手も集まるだろう。
監督とコーチの記者会見があった翌日から「関東インカレ」いわゆる関東学生陸上選手権が始まった。
日大の選手はどうか?{我ながら嫌な性格}と、チェックした。しっかり勝っていた、アフリカからの留学生が。

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