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「言葉の階(きざはし)」第十四章:残り醤油


「言葉の階(きざはし)」第十四章:残り醤油
 特別連載企画 第十四章 ~ 残り醤油 
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学生時代の友人と月に一度、盃を酌み交わす。
以前はしっかり酔ったなと認識するまで飲んだが、最近は嗜む程度で十分だ、
もっとも病気のせいで、酔っても酔わなくても身体は硬直してしまい、動作がコマ送りのようになる。
「大丈夫ですか?」と店員さんから心配されることもしばしばだ。
ところで、飲みに行くとバカの一つ覚えみたいに、「刺身」を注文してしまう。
私はあまり醤油をつけないのだが、小皿に注がれた醤油が気になってしまう。
要は食し終わったとき、きれいに使い切ってればいいのだが、これが駄目である。
「大根をいっぱい食べればいいだろう」と言われるが、あくまで自然に食べることにこだわる。
そして食べ終わったら醤油もきれいになっていた、というものでないとしっくりこない。
こんなことが気になるなんて、よほど神経質、潔癖症かと思うが、少し違うようだ。
いつからこんな性分が身についたのか、と思うが、親は事細かく、注意するようなことはなかった。
ただ、小皿に醤油を注ぐとき、少な目にしているのは祖母の影響だろう。
祖母は、しかし小皿の醤油が残り僅かになっても、改めて付け足すことはしなかった。
それで寿司や刺身をおいしく食したかはわからない。
ちなみに私も、寿司があと数カン残っているのに、
小皿には「かつてあった」という感じで醤油の跡が残るだけになってしまったことがある。
都内のいい寿司屋だとわさびもうっすらと上品についていることもあるが、
家の近くの寿司屋だと「こりゃ毒消しか」と思うほど、しっかりついていることも多い。
口に入れ、舌にのせたとたんに蒸気機関車のようになってしまった。
私の家の人間は総じて、この醤油の使い方がきれいだった。
食事が終わる頃、小皿の方も綺麗になっていた。
だから比べられるのも嫌で、静かに洗い場にもって行ったり、他の器にまとめたりしていた。

事、醤油に限らず、私はちょっとしたことに気になることが多いのに、その先どうするかということに頭が働かない。
自分の部屋に入れるものを購入した。たとえばハンガーラックを購入したはいいが、吊るすところがない。
予備のパジャマを買ったが押入れはいっぱいだ。必要なのに、今どこに置いておくか考えていない。
整理すればなんとかなるだろうに、億劫だ、面倒くさいと思ってしまう。
まだ、こういった残せるものならいいが、食品のようなものも同じ思考回路に繋がるから駄目だ。
小腹すいたとき、ちょっと口潤したいとき・・・
そんなときのためと食料品を買い求めるが、うまくフィットすることは・・・まずない。
いつまでも残っていたり、なんでこんなもん買ったんだ、と思うのが常だ。

モノを買い求める加減がわからないように、小皿に注ぐ醤油の加減がなかなか合わない。

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