「言葉の階(きざはし)」 第七章:商店街

2018年6月26日 火曜日

「言葉の階(きざはし)」 第七章:商店街

特別連載企画 第七回

~  商店街(2)

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幼い頃過ごした町はその佇まい、道、店等いつまでも記憶に残る。
どこにどんな抜け道があって、どこにどんな友人がいたか鮮明に覚えている。
いい年齢になってから居を構えたところは、暮らす歳月が長くなっても覚えが悪い。
あちこち歩いても馴染みの店ができても、幼い内から日々の暮らしを過ごした町ほど強く心に残っているものはない。
野口五郎の「私鉄沿線」という歌曲がヒットしたのは高校を卒業して間もない頃だった。
都内に住む人間の多くが私鉄沿線であったこの頃、
結構多くの人がこれは自分が利用している沿線ではないかと想像したような気がする。

「池上線」というより具体的な沿線名を歌った西島三重子の歌が出たのは、そのさらに1年後だ。
まさに、この歌詞で記されているところは自分の町だ。と思ったが、
何年か後作詞者から、「あれは池上が舞台です」と公表された。
やはりこういったものは、聴き手のイメージに従うものである以上、知るべきではなかった。
歌詞の中で車両に風が入ってくるといった、
いかにも古い車両といった姿を綴っているので、結構クレームも出たようだ。
そういう事実を踏まえても、男女の想いを詞に託せば共感する。
今時こんな車両と疎んじられていた池上線がその不便な旧式であるが故に人々に注目されることとなった。
昔ながらの商店街は、不便ゆえに言葉を交わさなければ、商いという行動が成立しない。
駅舎は機械化が不十分であるがために、人の力に頼らざるをえない。
いつまでたっても旧態依然の風情を残して、町は成り立っていた。
スーパーマーケットのようなところで買い物をしていると、老化が進むという。
買い物とは、商品を手にするたびに、買いたいという衝動と押さえようという自制が働く。
そして購入に際しては、財布から適正なお札と小銭を用意する。
この思考過程と行動パターンがボケ防止にいいようだ。
世の中便利になっている。スマホひとつでレジに足を運ばなくても、買い物ができるようになり始めている。
テレビの報道番組でレポーターが「これで手間が省ける」「ストレスがたまらない」と笑顔で話していた。
しかし、便利になる――それがストレスのたまらないことになるのだろうか?
言葉を交わすことなく、スマホをかざすだけで物事を処理することが、人間にとって、望ましい方向なのだろうか?
幼い頃歩いた道が記憶の中に強く残っているのは、その道が自分の足で歩んだからだ。
今日は違う通りから行ってみよう、ここの番地はこうだから・・・と自分の目と足でその道を覚えていった。
商店街は、そして間違いなく学びの場でもあった。

「言葉の階(きざはし)」第六章:商店街

2018年6月18日 月曜日

特別連載企画 第六回 
~  商店街 
 
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私が生まれ育った町は、五反田と蒲田を結ぶ池上線沿線にある。
この沿線はどの駅で降りたっても、その長さに違いはあるが、駅から商店街が延びる。
駅の近くには、花屋と薬局があって、歩を進めると、八百屋や肉屋、魚屋という食卓をにぎわすものを扱う店が並ぶ。
そして私たち子供にとってなじみ深い文房具、本屋、そしてお菓子屋といった店舗も目に入ってくる。
当時、食品ならなんでも揃うスーパーマーケットはあることはあったが、商店街の中心はあくまで小売店ではあった。
梅雨時になると、時節柄多くなってきたハエがたからないように、
天井から吊るしたハエ除けテープがのんびりと回るようになり、
お菓子屋のアイスボックスにはいかにも冷たい感じのキャンディーがあふれる。どれも夏の風物だ。
さまざまな工夫を凝らして、日本人は夏の暑さをしのぎ、虫の被害を押さえていた。
なんてしばしそんなもんに目をやっていたら、打水をかけられた。たしかにこれなら涼しい。
今ではこんな商店街の姿をあまり目にすることはなくなった。お菓子屋の量り売りでの商売。
魚屋で魚をさばいてもらうこと、籠に入っている果物に傷がついていないか確認すること。
モノを買い求めるということは、会話が始まるということであり、少なからず知恵を付けることでもあった。
量り売りで買うお菓子は、いつもリクエストしたグラム数より多く、「おまけだよ」という言葉が添えられたが、
元の値段が損をしない金額に設定されているのは、当然である。
先日、長野の上田市に足を延ばした。駅を降り立ち、上田城ではなく菅平方面に向かう通りを歩いた。
地方都市の多くはシャッターが下ろされているような状況になっているが、新幹線が走るこの町はまだ人通りも多い。
結構時間もあるので、本屋でもないかと思ったら、2軒あった。
それも懐かしい佇まい――店の扉の手前に棚があって、そこに週刊誌や月刊誌などちょっと気を惹くものが並べてある。
それに回転させながら幼児用絵本を手に取れる、回転式のキャビネット。
「懐かしい」 まさに子供の頃、足を運んだ本屋だ。
今日、本屋は大型店だけが残る状況となってしまった。昔はどこの町にもどこの通りにも本屋はあった。
子供たちは毎週マガジンやらサンデーが発売される日になると、こぞって本屋に足を運んだ。
買う買わないにかかわらず、お気に入りのページを探す。
そんな子供たちもいつの間にか問題集、ドリルを買い求めるようになり、
やがてちょっとエッチな記事や写真に興味を抱き、店主の目を気にしながらそんな雑誌のページをめくったりする。
だからエッチなものを見る時は人目につかない本屋を選んだものだった。
本屋は時折胸ときめくところにもなった。まじめな本でも買いに行こうと、
自分にとって一番メインにしている本屋に行くと、ちょっと気になる女の子がいたりする。
「この店なら大丈夫」とエッチな本など目もくれず、言葉を交わすそんなところでもあった。
一度こんなことがあると、その子がよく足を運ぶ本屋だと思い、何の用もないのにその店に行ったものだ。
それでうまくいったためしがないけど。高校生になると、自分の家から離れた駅で降り立ったものだ。
「あれ、椿君どうしたの?」
「いや、ちょっと本屋に・・・」(そんなわけないだろ)
いずれにしても、本屋の存在は貴重だった。
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