「言葉の階(きざはし)」第二十四章:大器晩成

2018年12月25日 火曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十四章:大器晩成

特別連載企画 第二十四章 ~ 大器晩成 ~

 実家に帰ると、人数は少なくなったが、私が幼い時分からここに居を構えている人達と顔を合わせることがある。
話すこともない付き合いになってしまったが、それでも懐かしさが沸いてくる。
「元気?」の問いかけ、「お疲れ様」のねぎらいの言葉が通り過ぎれば、背を向けるだけだが、
後姿をじっと見られている気がする。

 ここでは、「ますのりちゃん」「ま~ちゃん」という呼び名で今でも呼ばれる。
もう60歳も過ぎて「ちゃん」付けでもあるまいし、と思うが
他にどう呼んでいいのか思いつかないのだろうし、私も「椿さん」なんて言われたら、寒くなるだろう。
やはりこのほうが心地いい。

 年末になると、今年一年のまとめ、締めくくり的な行事が続き、
テレビは今年のおさらい的な番組や総集編のようなものが放映される。
番組の終わりは「よいお年を」であり、「・・・でありますように」という
来年に望みを託すような言葉で締めくくる。
来年に期待を寄せるというのは、未来に夢を抱き続ける大切なことだが、
今年いいことがなかったことの裏返しかと思うのは思い過ごしか?

 誰もが子供の頃、「この子は大器晩成型だ」と言われた覚えがあるだろう。
子供の成長、成功を願う親たちの希望を込めた言葉なのだろうが、
「今は駄目だがそのうち何とかなるだろう」と言っているような気がしていた。
短絡的に物事を考える性質だから、「来年はよくなるよ」とか「きっといいことがあるよ」という
先々に希望を託す言葉は総じて「今はよくない」「駄目だ」ということを暗に言っているように思ってしまう。

 以前勤めていたホテルの同僚に会った。と言っても年齢差10歳。しかも女性。言葉を選ばなければならない。
私の場合、学校や会社のように団体での会話、行動が主の時は十分に気を付けるのだが、
二、三人の状況、さらにプライベートな時間となると、配慮がなくなる。

 この時もそうだった。そもそも年齢を伺ったときに「半世紀か・・・」と口にしていたのだから、
注意力は完全に欠落していた。
「・・・それで○○ちゃん、きっといいことあるよって言われちゃった。」彼女がそう口にしたとき、
パーッと自分のことを言われている気になってしまった。
そんなわけで「よくこれからいいことあるよ、とかこの先どうだ、
なんてこと言われるんだけど・・・大器晩成って言われているのと同じ感覚だね。
60歳過ぎた人間に“これから”って言われてもね・・・」

 笑っていたが、どう思っただろう。
 ちなみに大器晩成の意味であるが、「鐘や鼎のような大きな器は簡単には出来上がらない。
人も大人物の才能が現れるのは徐々に成り立つものである」ということらしい。
少なくとも今を鑑みて、現在は駄目だが、この先伸びるよといった現状回避、先にいざなうような言葉ではない。
文字通り大器とは簡単になるものではない。我々は勘違いをして、その言葉をとらえ利用することがある。
自分に都合のいいようにとらえるのではなく、素直に受け止めることも必要かもしれない。

「言葉の階(きざはし)」第二十三章:色なき風

2018年12月20日 木曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十三章:色なき風

特別連載企画 第二十三章 ~ 色なき風 ~

 
10月に入ったばかりの頃は気温が30度を超える日もあり、「また夏日」なんて言葉も耳にしていた。
次第に汗も引き、冬服をハンガーにかけるようになった。
本来なら秋の夜長を感じ、夜更かしが似合う季節――秋は足早に過ぎてしまい、
今は、冷たい風が吹く季節の中だ。カラッとした陽気に包まれしのぎやすい秋日は数えるほどになってしまった。

そんな秋めいた陽気の折に吹く風を「色なき風」というが、元々風に色などないのに、
何故あえてこんな表現をしたのだろう。
平安時代、さかんに歌が詠まれていた時代、中国の影響もあって、
人々は四季それぞれに相応しい色を結びつけていた。春―青春。夏―朱夏。冬―黒帝 そして秋は白秋、
しかし白と言ってもこの場合、現代のようなおしろいのような色を差すのではなく、
色のないものを「白」と表していた。
無色透明で澄んだ風はまさに秋の代名詞として「色なき風」と表現したのだろう。

 ところで季節を表す風の表現っていくつかある。
思い浮かぶものを挙げてみると、春なら東風、風光る・・詩人になったようでいい感じ。
夏は薫風、はえ・・盛夏になるとなんか濃いなって感じ。
秋はひとまず空けて冬、凩、ならい・・襟を立てるって感じ。
それにしても漁師が使う言葉が多くなるのは納得するね。

 私は幼い時から、あまり目立たないおとなしい子と見られてきた。
面白いもので私より口数はずっと少ないのに、なぜか雰囲気が賑やかな人間がいる。
誰が隣の席についても、周りが明るく口を開き、その場を和ませる。
私はと言えば人の話に頷いたり、相槌をうったり・・・。
オーラがなく、明るさがないんだろうな。だからそんな人間を見ると、どうにも羨んだものである。

 大学時代に「お前は白い色が好きなのか?」と上級生から言われたことがあった。
どういうことかと言えば、自分の個性も発揮しないで、人の色に染まっていくタイプだということだった。
なんとなく癇に障るような言い方、いや私自身気にしていたことだったので、
「人の色を柔らかくし、穏やかにする面もあるのかと思いますが・・・」と思わずうそぶいてしまった。

 その当時はあまり思わなかったが、自分の欠けているものを直していくことも必要。
でもそんな自分の性格、持っているものを生かすのも必要ではあるまいか?
若い頃はすべてに「優れている」ようになりたく、周囲から認めてもらいたいと思っていた。
しかし、そうはならない。自分の不得手が見えてくる。話すことが苦手だったら、それでもいい。
人を引っ張っていく裁量がなければ、それでもいい。大切なのは、正面を向いて人の話につきあうことだ。

 秋という季節は昔から好きだった。若いうちから変に年寄りじみた傾向があって、
華やかなものより、落ち着いた地味なものを好んだ。
ちなみに色なき風とは、具体的に身にしむような秋風の寂寥感のことを言う。

僧侶の方向け講演会 第二回

2018年12月17日 月曜日

僧侶の方向け講演会 第二回

「ストレス社会に必要なコミュニケーションと

アンガーマネジメント(怒りのコントロール)」

 

10月の一回目に続き、先月11月末に日蓮宗の僧侶の方に向けた講演会の二回目を開催致しました。
今回は長野県の安立寺に伺い、20名超の僧侶の方を前に弊社代表理事の鈴木伸英が登壇を致しました。
多くの人が抱える「ストレス」の実態や現状を理解して頂いた上で、
僧侶としての対応の仕方や一個人としてのストレスとの向き合い方をお話し、
今後の教えに役立てて頂けるよう語り合いました。

前半はストレス社会に必要なコミュニケーションとして講演にご出席頂き、
後半はアンガーマネジメントやコミュニケーションのグループワークの実践もして頂きましたが、
積極的に周りの方とコミュニケーションをはかり、他の方の意見や新しい見方を取り入れようとする僧侶の皆様の姿は、
大変心打たれるものでした。

ご協力、ご参加頂きました日蓮宗の僧侶の皆様、また関係者の皆様、誠にありがとうございました。

講演にご興味のある方や、インタビューの依頼などのご連絡も随時受け付けております。
下記までご連絡下さいませ。


担当者名:村松
TEL:03-5530-8730  /   メールアドレス:info@comskillhp.com 

「言葉の階(きざはし)」第二十二章:マラソン

2018年12月11日 火曜日

  「言葉の階(きざはし)」第二十二章:マラソン
   特別連載企画 第二十二章 ~ マラソン ~




 アメリカ・シカゴで行われたシカゴマラソンで、
日本の大迫傑が2時間5分50秒という日本新記録で3位に入った。
箱根駅伝に出ていた時も大きなストライドで、自分のペースを貫いて走る卓越した選手だった。
ただ、従来日本人の長距離の走り方は、最後の勝負所で一気にスピードアップする、というのが基本だ。
自分の足の動きに任せて、最初から先頭に立つといった感じの大迫選手は
必ずしも「常に勝つ」選手ではなかった。大学卒業後もしばらくはトラック競技に専念していたので、
マラソンはやらないのかな、と思っていた。

 たしかマラソンはまだ3回目だと思うが、記録は着実に伸び、外したレースはない。
長距離ランナーの走り方は大きく分けて、レースを作るタイプとペースについていくタイプに分けられる。
アフリカで記録を塗り替える選手たちはもちろんレースを作るタイプである。
ペースを上げたり下げたりして絞り込む。その上で自分のペースで走る。
が、当然その日のコンディションによって悪い結果になることも多く、疲労度は大きい。
箱根駅伝で大迫選手を観たとき、日本人には珍しいこのタイプの選手だった。
必ず先頭に立ち、行けるところまで行くという感じだった。
おそらくオリンピックの代表を決めるレースでは徹底的にマークされ、厳しいレースになるだろう。

 ところで、このシカゴマラソンはスタートもゴールもロードだったが、
日本で行わるマラソンの多くは競技場を出て、競技場に戻るといったレーススタイルだ。
マラソン中継を観ていていつも思うのだが、選手が何周か走って競技場を出て、
2時間余りののちまた戻ってくるまで観客の方々は何をしているのだろうか?
「2時間くらいアッという間だよ」と言われる。
しかしながら、2時間ただ選手が戻ってくるのを待つだけなら私には耐えられない。
何か他の競技でも行っているのかと、スポーツ新聞を見ても、
何か行われたようなことも記されていない。となれば、子供たちの体操、綱引きぐらいか・・・
2時間といっても準備、片付けなどもあるから、そんなに大がかりな競技が行われるはずもない。

 ちょっと関係ない話だが、私は何度かボクシングを観に行ったことがある。
ボクシングはプロレスと異なり、ショーアップする格闘技ではない。
1日に何試合も予定が組まれ、ボクサーたちは自分がリングに上がる時間に合わせ闘争心を高める。
よって、試合が早く終わったからと言って、次の試合時間を早めるということはしない。
では、たとえば10回戦の試合が1回で終わってしまったら、
観客は30分余りの時間をただ待つだけなのか・・・こんなことを考えると、落ち着かない。

 ボクシングのプログラムで予備の試合というのがある。
まさにこれが、このように時間が空いた時に行われる試合なのだ。
当然4回戦あたりの選手だが、行われるかどうかもわからないまま準備を進めるのは
かなりの緊張感とストレスを伴うものである。

どうも私の思考回路は外れるとどんどん遠くに行ってしまう。
だから未だにマラソン中継を観ると、そんなことに想いが飛んでしまう。


 

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