「言葉の階(きざはし)」第二十六章:名前

2019年1月28日 月曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十六章:名前

特別連載企画 第二十六章 ~ 名前 ~


 今年生まれた子供さんたちにつけられた名前で、どのような名前が多かったか、
そんな記事が公になっている。

男子、蓮(れん) 大翔(ひろと) 陽翔(はると)

女子、葵(あおい) 結菜(ゆうな) 陽葵(ひより)

男女それぞれ上位三つを上げると、以上のようになっている。
――男、――夫、――子ばかりがあふれていた私たちの小学校時代と比べると、想像もつかない命名である。

 私の「益紀」という名前であるが、当時としては珍しかったのだろう。
小学校の低学年の頃からよく読み方を尋ねられたものだ。
幼い頃なら「わからない、でもまあちゃんと呼ばれているよ」と答えても、かわいいと思われるが、
いつまでも通用するものでもない。

「椿くん、何て読んだらいいんだろう、君の名前?」

と、小学校入学の時だけでなく、少し大きくなってからも訊かれたこともあった。
たまに「つばきでいいですよ」と答えたりしたが、知りたいのは姓の方ではなく、
名であることは間違いなかった。我ながら可愛い子供じゃなかった、と思う。
ただ、何度も聞かれると、またかよ、と表情に出てしまう。

親はその名を背負って我が子はどのように生きていくかと、命名する時にはいろいろなことを考える。
その名が果たして運をもたらすか、画数はいいか、占星術まで頼んで、我が子の名前を考える。
ありきたりではなく、しかし突拍子もないものでもなく、さりとてやはり「今」を感じさせる名前だ。
今は自分の名前の由来も知らなくても、やがては親の想いを知ってほしい。そんなことを思いながら命名する。

私は自分の名前が訓読み、訓読みといわゆる重箱読み、湯桶読みでないことを知ったとき、
「さすが我が両親」と感心したが、それでも「ますきくん」と呼ばれると
「変な名前つけて」「こんなわかりにくい名前のせいだ」と、やはり矛先は親に向けていた。
私の5歳違いの姉は「真知子」という名前だ。この名前を幾度となくうらやましく思った。理由は単純。

1、誰もが「まちこ」と読めること

2、当時「君の名は」が流行。「真知子」という名は誰もが親近感あり

そんな姉夫妻は生まれた第一子に「匡展」と命名した、読めなかった。
そもそも自分の名前が周囲に正しく理解された人間は、
自分の子に難解な名前をつける傾向にあるのではないか・・・と思ったが、どうだろう?
小学校に通っていた甥に「名前、何て読むんだ?と訊かれたことないか?」尋ねたことがある。
明るく「あるよ」と返答された。全く負の因子などなく、元気に。いい子だと思った。

そんな甥も40歳、1男1女の子供持ちだ。
改めて「子供の頃から、よく名前聞かれなかった?」と訊いてみたいが、
親が子供に自分の願いと想いを託したものに何ら不満などなかったのだろう。
考えてみれば、私よりずっと数多く、人から名前を尋ねられたのだろう。
子供の名前に同名はあるが、その人数分の親の想いがあることはまちがいない。
我が子の将来を案じ、願いを込めてつけた名前だ。
頂いた我々子供は、親からの大切な贈り物と考えるべきだろう。

「言葉の階(きざはし)」第二十五章:木守り

2019年1月8日 火曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十五章:木守り

特別連載企画 第二十五章 ~ 木守り ~

 

 私の実家には柿木があった。
いや、柿木だけでなく実をつけるまでには至らなかったが、梨、桃、杏子まであったのだから、
花を愛でるというより、実利的なものを求める家の人間の性格が十分に出ていた。

 柿木は毎年100数十個の実をつけていた。
色づいた実を採るのは父や私、家ではほとんど役割のない男の仕事だった。
にも拘らず、私はこの柿という果物を口にすることができなかった。
物心ついた頃口にした柿が渋く、それ以来柿を目にするたびに、あの渋みが口の中によみがえってきた。

 子供の頃、よく「食べられないモノ」「嫌いな食べ物」を尋ねられることがあった。
そんなとき、躊躇うことなく「柿」と答えていた。当時、果物を嫌いなものとする子は珍しかったのだろう。
そういえば、ピーマン、セロリなどの野菜、あるいは魚類を好まない子供は結構いたような気がする。
私は「柿が嫌い」と公言した手前、好きでもない野菜も口に運んだ。
そんなこともあり、好き嫌いはあまりないように思われていた。

柿を収穫するのは、毎年秋も深まった時期だった。柿の実でいっぱいになったバケツが二つ三つ。
「今年こんなに取れたんだから、来年はそんなに実らないね」と、私は、来年はこんなことしないで済む。
と思ったものだが、意に反して毎年収穫作業は続いた。

 手を伸ばしても届かないところにも柿の実は色づいていた。
私は祖母に「あんなところにもあるけど・・・枝から切ってしまう?」と、
そのたびに尋ねてみたが、「あれは残しておきな」と同じ返答が繰り返されるばかりだった

 幼い頃から私は乗り物が苦手だった。
乗用車、バスはもとより時には電車に乗っても、気分が悪くなるときがあった。
保健の教科書に図解されているように胃が横たわっているのではなく、縦に伸びた感じだったのだろう。
いつも胃がむかむかしている状態だった。子供の頃のこうした体験、そして不安な想いは結構頭に残る。
私は車に乗ると、気分が悪くなるという想いが大きくなるまで続いた。

 旅によく出るようになったのは大学も後半になってからだろう。
少なくとも「酔う」という心配がほぼなくなったのはこの時期だ。
もう少し早い時期から出歩いていれば、感性も豊かになったのだろうし、もっと全国のことを覚えたことだろう。
それでも、田園地帯が広がる日本らしい風景の中に身をおくと、落ち着く。

 学生生活も残りわずか―――凩が吹き、寒さが身に染みるように感じ始めた頃、風に誘われるように旅に出た。
車窓から我が家でも見慣れた風景が目に入ってきた。
すっかり葉を落とし裸木となった柿木に、枝の先に実が残っている。
「これって、鳥のエサになるんですね?」
「いやいや、昔からの風習でね…来年もよく実がつくようにっていうまじないというか、祈りみたいなものですよ」
そうなんだ。「木守り」って言葉をこの時知った。
日本らしいモノを、命を慈しむ優しい風習だ。
木の新生を念じて、実をひとつ残して収穫を終わりにするって・・・いいよね。

 ところで、柿の実であるが、デザートなどで出てくる。
最初は口をつけなかったが、食すと、意外にうまい。あまり言わないが・・・
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