「言葉の階(きざはし)」第二十九章:親の愛聴していた曲

2019年2月27日 水曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十九章:親の愛聴していた曲
特別連載企画 第二十九章 ~ 親の愛聴していた曲 ~

  

40歳も年齢差がある保険会社の外交員と音楽の話になった。
「で、どんな曲が好きなの?」と尋ねると、私に気遣っているのだろうか
「サザンとか好きですね」「でも君の年齢でサザンって、ちょっと古くない?」
「自分の両親がよく聴いていて・・・それで自分も」ありがちな返答である。
前の会社でも、今のところでも私は年齢差があるスタッフと飲食を共にすることが結構ある。
そんな時、よく話題になるのが、この好きな歌手であり、曲だった。
「誰がいい?」「どんな曲が好き?」という私の問いに、帰ってくる答えは、ユーミンにサザン。
海外ならビートルズ。この返答は本当に多い。

 私の父は年末になると、必ず「懐かしのメロディ」的な番組にチャンネルを合わせていた。
「東海林太郎に藤山一郎、霧島昇に二葉あき子・・・いつも変わり映えしないな」と、よく憎まれ口を吐き、
「いつもいつも同じ歌うたって・・・」と、そこにあるものは、自分の気に入っているものと対極にあるもの、
時代にそぐわない曲というある種の嫌悪感をもって臨んでいた。

だから今日、若者が親の聴いていた曲を好きになってしまうというのは、にわかには信じられない。
たとえば、「岸壁の母」を聴いても、「赤城の子守歌」を耳にしても、
そのメロディは覚えていても、親しみをもつことはない。
悲しいかな、私たちにとって音楽で両親と共通の話題をもつことはなかった。

 容易に理由は考えられる。父の時代と私たちの頃とでは、音楽が大きく変わった。
戦前から続いてきた音楽の流れは、敗戦という事実から戦前のものはすべて排斥するようになった。
私が音楽を聴き始めた頃、父の好きな歌手が歌の番組に出ることはまずなかった。

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「言葉の階(きざはし)」第二十八章:坊主

2019年2月25日 月曜日

  「言葉の階(きざはし)」第二十八章:坊主
   特別連載企画 第二十八章 ~ 坊主 ~


 幼い頃、商店街を歩いていると「坊主」と呼ばれることがあった。
 少し大きくなって、モノを買うくらいの小銭をもっていると、「兄ちゃん」と声をかけられた。
けっして品のいい街ではなかったが、売る人と買う人がいつの間にか顔見知りになる街だった。
 さしずめ今の状況だったら「おっちゃん」ということになるのだろうか。
 それにしても、髪の毛をきれいに刈り上げたわけでもないのに、
ましてや剃り上げたわけでもないのに、何故「坊主」と言われるのだろう。
 辞書を引いてみると、元々はその名の通り、坊さん、僧侶を指していたようだ。
それが関西方面で男の子を「坊主」と呼ぶ習慣があって、いつしか全国的に広まったという。
おそらく事の始まりは髪形だろう。サザエさんに出てくるカツオ君のように、
以前は刈り上げた頭髪が小学生の一般的なものだったのかと思う。

 坊主という言葉がつくもので、「台湾坊主」という低気圧があった。
立春が過ぎたころ、台湾付近で発生。太平洋上を発達しながら通過。
水分を多く含んでいるので、雪粒は大きくべちゃべちゃと地をたたいて落ちる。
東京で降る雪のほとんどは、この「台湾坊主」によるものだった。
今年の陽気は寒暖の差が激しく、先日「春一番」が吹くかも、なんて言ってたのに、
今度は「この冬一番の冷え込みです」なんて言っている。
立春の後だから、冬でもないだろう。と、思うが、季節感もないこの時代、寒ければ冬と言い、
暖かくなれば春らしいと口にしても何ら違和感はなく、むしろわかりやすい。
ちなみに「台湾坊主」という言葉はほとんど耳にすることはなくなった。
国名が気象用語として使われる、しかもあまりいい天気でもないから配慮したのだろうか?
でも「台湾坊主」というのはわかりやすかった。その言葉だけで春に降る湿った雪と理解できる。
これが「春になって発生した冬型の太平洋低気圧」なんて言っていると、季節がわからなくなってくる。

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「言葉の階(きざはし)」第二十七章:陽はどちらに沈む

2019年2月18日 月曜日

「言葉の階(きざはし)」第二十七章:陽はどちらに沈む
特別連載企画 第二十七章 ~ 陽はどちらに沈む ~

 日本の地形はだいたい頭に入っている。
だから47都道府県の位置はもちろん、県庁所在地も頭に浮かぶ。
しかしながら私の思考回路はだいたいわかればいい、
凡そのモノや数字までしか頭にない、といったことが多い。
細かいところまで覚えようとしない。
だから、大学受験のとき、選んだ社会科の科目は
当時まだ好きだった地理でも日本史でもなく、世界史だった。
馴染み深い地理や日本史は、教科書を頭に入れるだけじゃ通用しない設問が出るような気がしていた。

 ちなみに世界史は興味がなく、受験でも全くダメだった。
あれは、高校何年の時だったか?恩師が突然、その時代を思い起こすように話し出した。
それは幼少の時の「疎開」の話。とはいえ、怖かったとか不安だったということではなく、
疎開先の新潟でみた「日本海に沈む日の入り」の光景の話だった。
つぶやくように断片的に口にした話を、私は次のように認識した。

 新潟のどこだったか、記憶にもないのだが、
日本海に面した温泉から見た夕日が何とも言えず美しかった。
できることならあの地にもう一度行きたい。

と、考えたが、どうにも合点が行かない。
当時いくら幼くても、どこに疎開したかなんて、
その後誰か大人の人に聞けば地名くらいわかることだ、なぜ・・・

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